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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

今週の礼拝(恵みの扉) ブログトップ
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2018年 5月 6日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『勇気を失っても』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 6:9-13/旧約聖書
詩篇119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。

 モーセについて、強い信仰、勇敢なリーダーのイメージがあるでしょうが、実はそうでもなさそうなのです。
 モーセを苦しめたものがありました。それは人々との不調和です。再び神様の言葉を伝えましたが、人々の落胆は予想を超え、厳しい労働は信仰をも奪いました。「もう何も聞きたくない」、そこには失望があったのです。人々の否定的な反応という環境にモーセ自身も左右されていきました。
 モーセは勇気を失いました。神様からパロ王の前に立てと言われても勇気が出ません。結果が出ない時のリーダーの苦悩がここにあります。自分の言葉の力不足に恐れを抱き、悪いイメージしか出て来ないのです。実は、ここに、モーセ自身が何に頼っていたのか明らかになっています。
 神様がこのようなモーセに語った言葉は、人々やパロ王に対して語るべき言葉でした。モーセが今、心を向けるべき場所、それは神様の御言葉なのです。環境に流されて迷子になってはなりません。出すべき結果に集中するのではなく、従うべき神様に集中することなのです。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 13日(日)の予定 ☆★☆
 『もう一度立ち上がる』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 7:1-13/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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2018年 4月 29日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『頼るべき方』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 6:1-8/旧約聖書
6:1 それで主はモーセに仰せられた。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。」

 仲間に理解されず40年前と同じくモーセは孤立しました。しかし、今回モーセは神様に祈りました。
 神様はモーセの祈りに答えて下さいました。この祈りには一つ特徴があります。それは「わたし」が14回も繰り返されていることです。奴隷の苦しみと嘆きの中にいるイスラエル人をエジプトから救い出すのは「わたし」であると、神様自らがこれを行うのだと語っておられるのです。
 神様は言われました。「わたしの契約を思い起こした」と。イスラエル人たちを再び約束の地カナンへと連れて行くのは元々、神様の契約なのです。「わたし」は忘れてなどいない、覚えている、ずっと覚え続けているのだと、神様はモーセに、そしてイスラエル人に語りかけています。
 神様はこうしてモーセやイスラエル人に語りかけました。そこには、神様の言葉に信頼するようにという意図があります。神様は、力強いみわざを見せてその全能の力を印象付けることはなさいません。神様の言葉を聞くように、神様の言葉を信頼するように、それが最も重要なことなのです。
http://twitsound.jp/musics/tsiGqkf9X>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 6日(日)の予定 ☆★☆
 『勇気を失っても』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 6:9-13/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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2018年 4月 22日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『人が弱り始めるとき』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 5:10-23/旧約聖書
5:22 それでモーセは主のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。

 仲間と一つ心になって目の前に立ちはだかる大きな壁、エジプトの王パロに立ち向かったモーセたちでしたが、早くも躓いてしまいました。自分たちの労働がさらに苦しいものになった時、仲間はその原因はモーセにあるとして非難したのです。神様からの良いニュースは消え、悪いニュースだけが心を支配されたのです。
 人が弱り始めるとき、それは孤立した時でしょう。モーセは神様の御心を求めていますが、仲間はとにかく目の前の現実が良くなることだけを願いました。心が二つに分れてしまいました。モーセはまた孤立したのです。
 40年前にも仲間に理解されずに孤立したことがありましたが、その時のモーセはその場から逃げました。似たような状況を前にして、今回は「主のもとに戻り」ました。モーセは祈ったのです。現実の課題を神様に訴えました。モーセは本当に神様を信じ、信頼していました。状況を変えられるのは神様しかいないことを理解していたのです。
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☆★☆ 次週 2018年 4月 29日(日)の予定 ☆★☆
 『頼るべき方』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> 出エジプト記 6:1-8/旧約聖書

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2018年 4月 15日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『真実なのかウソなのか』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 5:1-9/旧約聖書
詩篇119:105 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

 信仰を持っていても悩みがあります。神様の言葉は本当に真実なのかと自分に問うことがあるのです。
 モーセはエジプトの王パロの前に出て、神様の言葉を伝えました。しかしパロは「その神を知らない」と言い、それに従う理由などない、それは偽りの言葉だと退けました。信仰がない人にとって神様の言葉は意味のないものなのです。私たちも同じ環境の中に生きています。
 モーセの言葉がきっかけとなり、イスラエル人の労働はさらに苦しいものになってしまいました。神様に従った結果、状況がさらに悪くなる…。これは信仰が揺さぶられる出来事です。神様の言葉は真実なのか、神様に私は愛されていないのではないか、自分は間違っているのか…。
 人に神様の言葉を否定された時、もしその一言で自分が生き方を変えたら、その人を信用したことになります。その一言に自分を合わせるのか、神様の言葉を信頼し続けるのかが問われています。たとえ否定されても私たちは神様の真実な言葉への信頼を手放してはなりません。
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☆★☆ 次週 2018年 4月 22日(日)の予定 ☆★☆
 『人が弱り始めるとき』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 5:10-23/旧約聖書

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2018年 4月 8日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『復活のイエス様からあなたへ』 ※イースター礼拝


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 28:1-20/新約聖書
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 イースターの喜びが皆様の上にありますように。
 イエス様はご自分について弟子たちに語っておられました。「多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがらなければならない」(マタイ16:21)。事実、イエス様は、罪のない方でありながら十字架にかけられて死に、葬られ、三日目に復活されました。イエス様の語られたことはその通り実現したのです。その言葉は真実なのです。
 復活されたイエス様は弟子たちに使命を与えました。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」。イエス様の福音を家族、隣人、友人、世界の全ての人々に伝え、信仰に導き、イエス様の言葉を守るように教えなさい、と。このイエス様こそ世界でただ一人の救い主です。
 この使命には、「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」という約束が添えられています。私たちの日常も、働きも、使命に生きる時も、イエス様は私たちと一緒にいます。私たちの歩みが孤独であることはないのです。この約束の言葉もまた真実なのです。
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☆★☆ 次週 2018年 4月 15日(日)の予定 ☆★☆
 『真実なのかウソなのか』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> 出エジプト記 5:1-9/旧約聖書

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2018年 4月 1日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『さばかれた私たちの罪』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 27:45-61/新約聖書
ローマ人への手紙 6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの 主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 イエス様が受けられた十字架、そこにある苦しみを私たちは想像することができないでしょう。
 十字架にかけられたイエス様の周辺を闇が覆いました。光が失われた状態は罪がもたらす人間の闇であり、神様のさばきを表したものでした。罪の中にとどまることがどれほど暗いものであるか知るべきなのです。
 イエス様は「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。これこそイエス様が私たちの罪のすべてを引き受けられた瞬間です。私たちが受けるべきさばきを身代わりに受け、傷つけられ、そして死なれたのです。「罪から来る報酬は死」なのです。
 私たち罪人が受けるべき死をイエス様が引き受けて下さいました。ですから私たちは、信仰によって罪がもたらす死を免れ、永遠のいのちをいただいているのです。それは神様と私たちとを隔てていた罪がさばかれたからです。しかし、それらすべては私たちが努力の結果として手に入れたものではなく、ただ神様が恵みによって与えて下さった賜物です。
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☆★☆ 次週 2018年 4月 8日(日)の予定 ☆★☆
 『復活のイエス様からあなたへ』 ※イースター礼拝
  <聖書の言葉> マタイの福音書 28:1-20/新約聖書

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2018年 3月25日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『釈放されていく罪人』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 27:11-26/新約聖書
ペテロの手紙第一 3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

 無実の人が有罪とされる不条理がある一方で、聖書には犯罪者が突然、釈放されていく話があります。
 イエス様の裁判中、何とかしてイエス様を十字架に向かわせ排除したい指導者たちと、公正であることよりも自分の地位を守ることを優先したいローマの総督ピラトとの綱引きがありました。どちらも結局、自分たちの都合であり、世の中はその人の都合で動いているように思えてきます。
 そこに現れたのがバラバという囚人。彼は強盗、人殺しであり、ローマの支配者が嫌う暴動に加わった人物です。指導者たちはイエス様の代わりにバラバの釈放を要求していきました。バラバは死刑に値する犯罪者でありイエス様は無罪です。しかし、その逆転がここで行われたのです。
 囚人バラバは釈放され自由の身となりました。努力が報われたわけではありません。イエス様が彼の身代わりとなったからです。同じことが私たちにも起きました。神様の前に罪人である私たちは、無実のイエス様が身代わりとなったおかげで刑罰を免れ、救われたのです。
http://twitsound.jp/musics/ts6Ok7x7m>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 4月 1日(日)の予定 ☆★☆
 『さばかれた私たちの罪』
  <聖書の言葉> マタイの福音書 27:45-61/新約聖書

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2018年 3月18日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『そんな人は知らない』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 26:69-75/新約聖書
エペソ人への手紙6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

 もし「あなたは自分の心に嘘をつくことがありますか?」と問われたら、皆さんは何と答えるでしょうか。
 イエス様が十字架を前にして逮捕され裁判となった時、一度は逃げてしまった弟子のペテロは密かに戻ってきて、イエス様の近くにやってきました。ところが、自分がイエス様の弟子であることが思った以上に知られていたのです。本当は知られている…、私たちも同じかもしれません。
 ペテロは「あなたもイエス様の弟子だね」と言われて、「そんな人は知らない」と言ってしまいました。彼は自分の心に嘘をつきました。一度嘘をついたことで二度、三度と嘘をつき続けることになったのでしょう。クリスチャンであることをごまかす、話題をそらすなども同じかもしれません。
 自分の意思は固いと思っても、人に負けない情熱があっても、人は恐れを抱いた時に別な態度を取ってしまうことがあるのです。自分の力に自信を持ってもそれは役に立たないと知るべきです。とにかく祈ること、祈り続けること、私たちにできること、すべきことはこれだけです。
http://twitsound.jp/musics/tsC5S1kyt>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 3月 25日(日)の予定 ☆★☆
 『釈放されていく罪人』
  <聖書の言葉> マタイの福音書 27:11-26/新約聖書

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2018年 3月11日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『最後の晩さんと弟子たち』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 26:26-35/新約聖書
26:29 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。

 真実な愛について思い巡らす時、そこには自分自身の全てを与えようとする姿が見えてきます。
 イエス様は十字架を控えた前日、弟子たちと最後の晩さんを過ごしました。その時、パンを「わたしのからだ」、ぶどう酒を「わたしの契約の血」として示されたのです。まさに、明日行われようとする十字架による贖いがそこにありました。私たちの罪の赦しがなされようとしていたのです。
 イエス様は、弟子たちがまもなく自分を見捨てていくことを語りました。弟子たちはそれに納得が行きませんでした。「私は決してつまずきません」と。勇ましくふるまう姿は頼もしくもありますが、それが自分の意志や熱意に頼ったものである以上、かえってそれは弱さとなって表れるのです。
 イエス様は「わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日まで」と語りましたが、信仰によって天国が約束され、やがて再びイエス様と親しく交わる日が来ます。これは人間の努力や情熱で手にするものではなくただ信仰によってです。神に従う歩みもただ信仰によってなのです。
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☆★☆ 次週 2018年 3月 18日(日)の予定 ☆★☆
 『そんな人は知らない』
  <聖書の言葉> マタイの福音書 26:69-75/新約聖書

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2018年 3月 4日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『語り継がれる捧げ物』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 26:6-13/新約聖書
26:7 ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。

 特別な贈り物をするという行為は美しいものです。贈る人の心がそこに添えられているからでしょう。
 一人の女性がイエス様のために特別な捧げ物をしました。それは高価な香油で年収に相当するほどのものでした。そばにいた人たちには理解できず、怒り出す人もいました。イエス様への愛を常識で判断するべきではないでしょう。愛は惜しみなく捧げることに抵抗がなく、限界もないのです。
 彼女は、イエス様がもうまもなく十字架にかかり、私たち人間の罪のために死んでくださるお方だということを知り、信じていました。この香油はイエス様の遺体の埋葬の用意を意味していたのです。この機会は一度しかありません。彼女はこの機会を逃さず、最高の捧げ物をしたのです。
 彼女のこの捧げ物をイエス様は喜ばれました。イエス様の心をも理解して行われた彼女の愛のわざはイエス様の心に響くものでした。これは世界中で語り継がれる捧げ物だと言われたのです。
 私たちはイエス様への愛をどのように表すことができるでしょうか。
http://twitsound.jp/musics/tsc1MdoM1>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 3月 11日(日)の予定 ☆★☆
 『最後の晩さんと弟子たち』
  <聖書の言葉> マタイの福音書 26:26-35/新約聖書

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