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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

「『道徳』に思う」 [コラム Column こらむ!]

 最近、「反面教師」という言葉が思い浮かんでばかりいます。首相周辺で起きているニュース、そしてそれに対応する姿勢などを見ると、これが頭から離れません。
 「反面教師」は、見習ったり学ぶべきではないもの、悪い手本・見本となるような事柄や人物のことを指している言葉です。
 4月、小学校では「道徳」が教科として位置づけられました。新学習指導要領によると指導内容には四つの視点があるようです。内容を概観しながら目に留まったものがありました。以下はその一部です。
 ・良いことと悪いこととの区別をし、良いと思うことを進んで行うこと。
 ・うそをついたりごまかしたりしないで、素直に伸び伸びと生活すること。
 ・過ちは素直に認め、正直に明るい心で生活すること。
 ・法やきまりの意義を理解した上で進んでそれらを守り、自他の権利を大切にし、義務を果たすこと。
 最近のニュースに登場する大人の姿は小学生たちも知っているはずです。皮肉にもこれは道徳の教材になり得ます。「あの人の行動、どこが間違っていますか?」「あなただったらどうしますか?」と問えば学習できそうです。憂うべき現実です。
 他人事ではありません。私たち大人の生き方が子どもたちの手本にならず、反面教師の材料になっているのですから。
 神様を畏れる心を保ち、規範が育つ環境を手放さないようにしたいと思います。

〔2018.05/ほっとひと息・第114号〕

タグ:オピニオン
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「『比較』を乗り越えて」 [バイブル・メッセージ]

 皆様、お変わりありませんか。
 誰かと比較しないでは生きられない私たちですが、聖書の中には悲しい比較をした人が記録されています。
 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』」(聖書/ルカ18:10-13)
 多くの人が思う事かもしれません。「あの人のようでなくて本当に良かった」。こうして自分は少し上にいると確認するのです。
 パリサイ人は「自分は正しい」と意識し、取税人は「自分は罪人だ」と認めていました。周囲の人たちも同じ見方をしていた可能性がありますが、イエス様の評価は人々のものとは違っていました。
 「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ18:14)
 アクシデントばかり続く人を見て、重い病気を持っている人に出会って、不幸と思える状況にいる人を知って、私たちは同じ思いを抱くかもしれません。「私はあの人のようではないことを感謝します」と。
 けれども、イエス様が受け入れて下さるのは「こんな罪人の私をあわれんでください」と言えるへりくだった人です。誰かと比較して「上だ」「下だ」と思うことを乗り越えていきたいと思います。-牧師-

〔2018.05/ほっとひと息・第114号〕

タグ:聖書のお話
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2018年 5月 13日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『もう一度立ち上がる』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 7:1-13/旧約聖書
7:5 わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。

 リーダーであるモーセは目の前の状況に流され、見える結果を求め過ぎてすっかり弱ってしまいました。
 神様はモーセを励ましました。その信仰が弱まっても神様は彼を選び遣わされるのです。そして、言われました。「わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。」と。神の権威がモーセに授けられたのです。パロ王が相手にするのは神様なのです。
 パロ王の求めによりアロンの杖が蛇になるという奇蹟が行われました。しかしそれは、王の心を神様に向けさせるよりも奇蹟そのものへと集中させました。奇蹟は人を驚かせますが、必ずしも神様に心を開くことになるわけではないのです。神様の御言葉にこそ耳を傾けるべきです。
 パロ王たちが知らなければならないのは神様ご自身とその御心です。「エジプトはわたしが主であることを知るようになる」と。かたくなな心のためにエジプトは大変な経験をすることになりますが、神様の前に心へりくだって歩む者は神様の祝福と恵みをいただくことができるのです。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 20日(日)の予定 ☆★☆
 『聖霊が示す道』 ※ペンテコステ礼拝
  <聖書の言葉> 使徒の働き 16:6-10/新約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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2018年 5月 6日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『勇気を失っても』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 6:9-13/旧約聖書
詩篇119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。

 モーセについて、強い信仰、勇敢なリーダーのイメージがあるでしょうが、実はそうでもなさそうなのです。
 モーセを苦しめたものがありました。それは人々との不調和です。再び神様の言葉を伝えましたが、人々の落胆は予想を超え、厳しい労働は信仰をも奪いました。「もう何も聞きたくない」、そこには失望があったのです。人々の否定的な反応という環境にモーセ自身も左右されていきました。
 モーセは勇気を失いました。神様からパロ王の前に立てと言われても勇気が出ません。結果が出ない時のリーダーの苦悩がここにあります。自分の言葉の力不足に恐れを抱き、悪いイメージしか出て来ないのです。実は、ここに、モーセ自身が何に頼っていたのか明らかになっています。
 神様がこのようなモーセに語った言葉は、人々やパロ王に対して語るべき言葉でした。モーセが今、心を向けるべき場所、それは神様の御言葉なのです。環境に流されて迷子になってはなりません。出すべき結果に集中するのではなく、従うべき神様に集中することなのです。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 13日(日)の予定 ☆★☆
 『もう一度立ち上がる』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 7:1-13/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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死を思い巡らして… [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
私たち人間が最終的に飲まれてしまう圧倒的に恐ろしい力、それは「死」です。
「死」、それは生の行き着くところ…。
あなたに対して罪を犯した私たちは、死をもって全てを失うことになる者たちでした。
しかし、イエス様がご自分の命をもって死を滅ぼし、その力をもって死の力を覆してくださいました。
私たちは、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」とおっしゃる主イエス・キリストを信じているのです。
人生の途上においても、失望や疑い、悲しみにおそわれ、時に打ちのめされ、身を横たえることもあるでしょう…。
でも、イエス様が私たちに触れて、そして立たせてくださいます。
心からあなたに感謝いたします。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2018年 4月 29日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『頼るべき方』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 6:1-8/旧約聖書
6:1 それで主はモーセに仰せられた。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。」

 仲間に理解されず40年前と同じくモーセは孤立しました。しかし、今回モーセは神様に祈りました。
 神様はモーセの祈りに答えて下さいました。この祈りには一つ特徴があります。それは「わたし」が14回も繰り返されていることです。奴隷の苦しみと嘆きの中にいるイスラエル人をエジプトから救い出すのは「わたし」であると、神様自らがこれを行うのだと語っておられるのです。
 神様は言われました。「わたしの契約を思い起こした」と。イスラエル人たちを再び約束の地カナンへと連れて行くのは元々、神様の契約なのです。「わたし」は忘れてなどいない、覚えている、ずっと覚え続けているのだと、神様はモーセに、そしてイスラエル人に語りかけています。
 神様はこうしてモーセやイスラエル人に語りかけました。そこには、神様の言葉に信頼するようにという意図があります。神様は、力強いみわざを見せてその全能の力を印象付けることはなさいません。神様の言葉を聞くように、神様の言葉を信頼するように、それが最も重要なことなのです。
http://twitsound.jp/musics/tsiGqkf9X>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 6日(日)の予定 ☆★☆
 『勇気を失っても』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 6:9-13/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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2018年 4月 22日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『人が弱り始めるとき』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> 出エジプト記 5:10-23/旧約聖書
5:22 それでモーセは主のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。

 仲間と一つ心になって目の前に立ちはだかる大きな壁、エジプトの王パロに立ち向かったモーセたちでしたが、早くも躓いてしまいました。自分たちの労働がさらに苦しいものになった時、仲間はその原因はモーセにあるとして非難したのです。神様からの良いニュースは消え、悪いニュースだけが心を支配されたのです。
 人が弱り始めるとき、それは孤立した時でしょう。モーセは神様の御心を求めていますが、仲間はとにかく目の前の現実が良くなることだけを願いました。心が二つに分れてしまいました。モーセはまた孤立したのです。
 40年前にも仲間に理解されずに孤立したことがありましたが、その時のモーセはその場から逃げました。似たような状況を前にして、今回は「主のもとに戻り」ました。モーセは祈ったのです。現実の課題を神様に訴えました。モーセは本当に神様を信じ、信頼していました。状況を変えられるのは神様しかいないことを理解していたのです。
http://twitsound.jp/musics/tsdwH25nQ>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 4月 29日(日)の予定 ☆★☆
 『頼るべき方』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> 出エジプト記 6:1-8/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
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目を高く上げて [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
苦しみや悩みにあう時、私たちは何を思うでしょうか…。
私たちは、あなたが自分を捨ててしまったのではないかと失望し、落胆してしまうのです。
そして、私たちの目は、ついつい下ばかりを向いてしまいます。
聖書のイザヤ書には「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる」とあります。
苦しみ、悩む時こそ、目を上げて、全てを支配しておられる神様、あなたを見上げる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2018年 4月 15日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『真実なのかウソなのか』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> 出エジプト記 5:1-9/旧約聖書
詩篇119:105 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

 信仰を持っていても悩みがあります。神様の言葉は本当に真実なのかと自分に問うことがあるのです。
 モーセはエジプトの王パロの前に出て、神様の言葉を伝えました。しかしパロは「その神を知らない」と言い、それに従う理由などない、それは偽りの言葉だと退けました。信仰がない人にとって神様の言葉は意味のないものなのです。私たちも同じ環境の中に生きています。
 モーセの言葉がきっかけとなり、イスラエル人の労働はさらに苦しいものになってしまいました。神様に従った結果、状況がさらに悪くなる…。これは信仰が揺さぶられる出来事です。神様の言葉は真実なのか、神様に私は愛されていないのではないか、自分は間違っているのか…。
 人に神様の言葉を否定された時、もしその一言で自分が生き方を変えたら、その人を信用したことになります。その一言に自分を合わせるのか、神様の言葉を信頼し続けるのかが問われています。たとえ否定されても私たちは神様の真実な言葉への信頼を手放してはなりません。
http://twitsound.jp/musics/tsaRHsPTJ>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 4月 22日(日)の予定 ☆★☆
 『人が弱り始めるとき』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 5:10-23/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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2018年 4月 8日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『復活のイエス様からあなたへ』 ※イースター礼拝


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> マタイの福音書 28:1-20/新約聖書
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 イースターの喜びが皆様の上にありますように。
 イエス様はご自分について弟子たちに語っておられました。「多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがらなければならない」(マタイ16:21)。事実、イエス様は、罪のない方でありながら十字架にかけられて死に、葬られ、三日目に復活されました。イエス様の語られたことはその通り実現したのです。その言葉は真実なのです。
 復活されたイエス様は弟子たちに使命を与えました。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」。イエス様の福音を家族、隣人、友人、世界の全ての人々に伝え、信仰に導き、イエス様の言葉を守るように教えなさい、と。このイエス様こそ世界でただ一人の救い主です。
 この使命には、「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」という約束が添えられています。私たちの日常も、働きも、使命に生きる時も、イエス様は私たちと一緒にいます。私たちの歩みが孤独であることはないのです。この約束の言葉もまた真実なのです。
http://twitsound.jp/musics/tsLQFmlke>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 4月 15日(日)の予定 ☆★☆
 『真実なのかウソなのか』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> 出エジプト記 5:1-9/旧約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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