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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

2017年 9月 10日(日) ※召天者記念礼拝 [今週の礼拝(恵みの扉)]

『喜び、祈り、感謝』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> テサロニケ人への手紙第一 5:16-18/新約聖書
16-18 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 神様は私たちに願っています。「いつも喜んでいない」と。それは簡単ではないと多くの人が思うことでしょう。毎日、喜べることばかりに囲まれているわけではないからです。しかし、これは自分の今ある状況や感情に左右されるものではなく、ただ信仰によって与えられる喜びです。喜ぶ者とされているのです。
 神様が「絶えず祈りなさい」と。一日に何回お祈りしているでしょうか?回数を数えられる人は祈りが少ないと思った方が良いかもしれません。神様に頼る人はあらゆる時に祈り、短くても祈ります。祈らずにはいられないのです。これは神様への信頼の度合いと関係があるのです。
 「すべての事について感謝しなさい」と神様は言われます。「ありがとう」と「不平や愚痴」、どちらが口からたくさん出て来るでしょうか。神様はあらゆるものをもって私たちを満たし、支え、励まし、共におられます。神様への感謝の言葉は、探せばいくつも見つかるに違いありません。
そして、喜びと感謝をつないでいるものがあります。それは祈りです。
http://twitsound.jp/musics/tspmAAtWW

☆★☆ 次週 2017年 9月 17日(日)の予定 ☆★☆
『あなたの幸せのために』※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> 出エジプト記 20:1-17/旧約聖書
タグ:聖書のお話
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他の人のことも [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
自分のことだけを顧みて、他人のことを顧みないのが、自己中心。
自分を顧みずに、他人のことばかりを顧みるのが、おせっかい。
自分のことも他人のことも顧みないのが、無責任…。
「自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい」との聖書の言葉を思い巡らしています。
私たちが、自分の不安、自分の孤独、自分の都合ばかりに埋没しないように助けてください。
他の人もまた自分と同じように、いや、それ以上に孤独や不安に耐えながら生きているのかもしれない…ということを心に留めていることができますように…。
自分の満足を求めず、他の人の弱さを担い、共に生きる…、そのような人にならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2017年 9月 3日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『祝福の祈り』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 13:11-13/新約聖書
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

 どんなに良いことを話してもその人がそれを実践していなければ意味がないし、信用もされません。
 パウロがかつてコリント教会に宛てた手紙の中に「愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」とあります。彼は教会に対して厳しい言葉を続けましたが、教会が修復されていくことを期待しました。あきらめることのない愛の姿が実践されています。
 コリントの教会に宛てた手紙を終えるにあたって、パウロは教会の交わりの麗しい姿を語ります。彼らがどれほど多くの問題を抱えていようとも、諸教会は彼らのために祈り、決して孤立させることなく、その交わりは途絶えることがないのです。これはまさに神が私たちを愛する姿です。
 祝福の祈りをもって手紙は閉じられます。お互いの祝福を祈り合う交わりは幸いです。これは「祝祷」として礼拝の最後に位置づけられるようになりましたが、一人一人の祝福を祈ると同時に教会から世へと送り出す派遣の意味も込められています。主の祝福があなた上にありますように。
http://twitsound.jp/musics/tsajoybSB

☆★☆ 次週 2017年 9月 3日(日)の予定 ☆★☆
『喜び、祈り、感謝』※召天者記念礼拝
  <聖書の言葉> テサロニケ人への手紙第一 5:16-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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☆ 教会カフェ ☆ [スペシャル☆ニュース!]

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『教会カフェ』にいらっしゃいませんか!


私たちの教会では、 “教会カフェ” を行っています。
地域の皆様に気軽にご利用いただいて、気分転換、安らぎのほっとひと息を過ごしていただけたらと願っています。
利用料金はいただきません。
土曜日の午後1時~5時、毎月2回位の実施を計画しています。
詳しい日程などは下記のとおりです。
皆様のお出でを心よりお待ちしております。

2017年9月~12月の予定

  9月/  2日(土) 、 23日(土)
  10月/  7日(土) 、 21日(土)
  11月/  4日(土) 、 18日(土)
  12月/  2日(土) 、 16日(土)

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タグ:お知らせ

『キリストのおっちゃん!』(公園の子どもたち:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載11>


 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 毎週土曜日の午後、公園に出没することになった私。タンバリンの音とともに子どもたちが集まり、楽しい聖書の紙芝居とひげのおじさんとの遊びのひと時。何度も来てくれるリピーターも増えていった。
 私もちょっとだけ有名人になったのかな?と思うエピソードがあった。
 銀行のATMに並んでいた時のことだった。私の前にいる母親の横にいた子どもが振り返り、まもなく「あ、キリストのおっちゃん!」と。「えっ!」と戸惑うお母さんに簡単に説明し理解をしていただいた。
 土曜日のある日、子どもがいくつもの花が咲いた梅の枝をプレゼントしてくれた。「お母さんから」。あまりにも嬉しい出来事に「これは御礼を言わないと…」と思い、子どもの帰宅に併せて家を訪ね、御礼を言うことができた。ご家族の理解と共に信頼を得ていることを知り、神様に感謝した。
 子どもたちの家族の理解と信頼はそれだけではなかった。
 「教会訪問ツアー」を企画したところ、家族の許可を得て何人もの子どもたちが教会に遊びに来てくれた。当時、まだ赤ちゃんだった息子にみんなが夢中になった。
 教会で恒例の夏のキャンプがあり、ダメだろうなと思いながら誘ってみた。すると、「お母さんが行ってもいいって!」との報告が届いた。誘った私の方がビックリ! 3泊4日のキャンプを一緒に楽しんだ。
 他にも、自宅を訪ねても快く受け入れてくれたご家族があった。子どもたちは自分の家にキリストのおっちゃんを招きたいと思ってくれていたからなのだ。
 こんなにもうまく事が運んでいた紙芝居の活動だが、それほど長くは続かなかった。

〔2017.09/ほっとひと息・第111号〕

タグ:エッセイ
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『強者か弱者か』 [コラム Column こらむ!]

 私が以前、難病児である自分の息子のことを中心に講演した時のことです。そこには障がい者の方も来ておりましたが、講演終了後、忘れられない反響がありました。それは全盲の方からのものでした。
 その方はおっしゃいました。「私は盲人であることは弱さだと思ってないですね。」
 私の中では、難病児である息子にはいろいろな弱さがあると受け止めてきたので、それと同じように視覚や聴覚の障がいや歩行障がいなども一つの弱さとして位置づけていました。他と比較した時にどうしても避けられない限界を感じたからです。
 けれども、障がい者に対して「弱さ」という言葉を選んだ時、自分は「強者」の側にいるのだということに思い至りました。
 神様が人を造られました。顔立ち、身長、手足の特徴、頭髪なども含めてです。得意分野と不得意分野があり、文系向きか理系向きかの違い、感性も違います。そして、全盲、ろうあ者、四肢欠損、小人症に巨人症、内部疾患…、列挙するのにも限界があります。皆、神様が造られた一人一人です。
 私は間違っていました。自分を強者だと位置づけたら自分は上に立つ者。障がい者は憐れむべき存在、支援される側です。
 強者も弱者もない、本来的には共に生きる存在、歩調を合わせて生きていくべき存在なのです。神様は私たち人間が共に生きることを願っています。お互いの特徴を理解し、違いを受け入れ、お互いの欠けを補い合うことが大切だと思います。

〔2017.09/ほっとひと息・第111号〕

タグ:オピニオン
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『こんな私でもいいのですか』 [バイブル・メッセージ]

 皆様、お変わりありませんか。
 聖書で「罪深い女」と紹介されている人がいます。不道徳な生き方だったようです。
 彼女はイエス様がパリサイ人シモンの家にいることを知ってやってきました。そしてイエス様の足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、足に口づけし、香油を塗ったのです。
 人の行動には理由があるものです。御礼をしたい、役に立ちたい、良く思われたい、償いをしたい…。彼女にはこれをしないではいられない気持ちがあったようです。
 様子を見ていたシモンには理解できない事でした。「この女は罪深い者だ。汚らわしい」と心ひそかに思っていたからです。
 イエス様は彼に一つの話をしました。二人の人が同じ貸主から借金していたとして、返済できないと知った貸主が二人の借金を赦した場合、借金が多額だった者と少額だった者と、どちらが余計に貸主を愛するようになるかと…。答えは前者です。
 この「罪深い女」はイエス様に何をしてもらったのでしょうか。数えきれない過去の罪、恥ずかしい罪、神様を悲しませた罪、それらすべてをイエス様に赦してもらったのです。彼女が自分の罪を悔い改めたからです。だからイエス様の愛に応えたい、それが彼女の行動の理由だったのです。
 時々聞く言葉があります。「自分みたいな者が教会に行っていいのですか?」、「こんな私でもいいのですか?」何かしら自分の罪を意識して出た言葉かもしれません。
 しかし、イエス様は招いておられます。「そんなあなたでいいのです」と。ありのまま、そのままの姿でイエス様の前に立つことができるのです。なぜなら、イエス様は私たちを愛し、私たちの罪を赦し、受け入れて下さる神だからです。
 「イエスは女に言われた。『あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。』」(ルカの福音書7:50) -牧師-

〔2017.09/ほっとひと息・第111号〕

タグ:聖書のお話
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2017年 8月 27日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『自分を吟味する』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 13:1-10/新約聖書
13:9 私たちは、自分は弱くてもあなたがたが強ければ、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。

 愛は、その優しさの中に見出すことができますが、一方で厳しさの中にも見出すことのできるものです。
 パウロのコリント教会の人々に対する愛は、時に厳しさの中に見出されるものでした。それは彼らの信仰の成熟を期待していたからです。
 パウロは信仰について確信がありました。それは「神の力のゆえに、キリストともに生きている」ことでした。弱い人間でしかない私たちを神様は力強くその御手の中で運び、永遠の御国へと導いて下さいます。
 コリント教会の人々にもこの信仰に立ってほしいと願っているパウロは、彼らに自分の信仰を確かめるよう勧めています。イエス様を心に迎えているのか、イエス様の愛に応えて歩もうとしているのか、まるで信仰のない者のような歩みに陥っていないか、そうして自分を吟味するようにと…。
 成熟したクリスチャンになることはパウロの願いあり、神様の願いです。周囲の言葉に流されず、罪に対しては敏感に悔改め、イエス様がいつも共に歩んで下さるという恵みの中に生き続ける者となりたいものです。
http://twitsound.jp/musics/tswxqVswO

☆★☆ 次週 2017年 9月 3日(日)の予定 ☆★☆
『祝福の祈り』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 13:11-13/新約聖書
タグ:聖書のお話
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愛の中に現実を包んで生きる [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
「どうも神様が分からなくなった」という気持ちをいだくことがあります。
次から次に不幸がやってくると、いっそうこの思いにかられてしまいます。
もしかしたら、私たちが、毎日の生活からあなたを知ろうとしているからでしょうか…。
自分の生活がどんなに苦しく、また矛盾ばかりを感じるものであっても、私たちがその中であなたを知るのは、イエス様において知るのだと信じます。
どんなことが起こっても、何が自分に襲いかかってきても、その現実に飲み込まれることなく「神は愛です」を信じ、その愛の中に現実を包んでいくことができますように。
イエス様の愛に励まされたところから生まれてくるもの…、つまり信仰によって日々を歩む者とならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2017年 8月 20日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『パウロの期待』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:19-21/新約聖書
12:19 しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。

 親心に限界がないことを感じさせてくれる言葉がここにあります。パウロの期待は続いています。
 「愛する人たち」と呼びかけています。パウロは愛すれば愛するほど私は愛されなくなるのかと悲しい言葉を口にするほどの経験をしましたが、パウロは彼らを愛し続けています。その目的は「彼らを築き上げるため」です。何とかしてクリスチャンとして整えられてほしいのです。
 そのためにはどうしてもしなければならないことがこのコリント教会にはありました。それは罪の悔改めです。「争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動」があったからです。性的不道徳という罪の問題もありました。罪の認識と悔改め、これは重要なことなのです。
 パウロの期待、それは「彼らを築き上げるため」ことです。それはクリスチャンとして聖められなければ始まらないのです。時代や世の流れに流されず、教会はイエス様によって贖われた者としてふさわしい歩みを、神の子どもとしてふさわしい生き方を求めていくべきなのです。
http://twitsound.jp/musics/tsc4uSDtg

☆★☆ 次週 2017年 8月 27日(日)の予定 ☆★☆
『自分を吟味する』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 13:1-10/新約聖書
タグ:聖書のお話
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