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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

イエス様のように・・・ [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちは愛がわかったのです。」(聖書)
そうです。私たちは、このイエス様の十字架の死を通して真の愛の姿を知りました。
このイエス様の愛に応えて歩む者とならせてください。
「わたし(イエス様)は心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしに学びなさい。」(聖書)
愛は日々の平凡な歩みの中にこそ結実していくものだと思います。
その愛をイエス様に学ぶ者とならせてください。
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(聖書)
私たちもこのキリストの愛の模範にならう者とならせてください。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(聖書)
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
祈り.jpg

タグ:祈り
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2017年 4月 2日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『この人には罪を認めません』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:28-40、19:1-16/新約聖書
19:6 ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

 イエス様はユダヤ人の指導者たちによる裁判を経て、ローマ側による裁判を受けることになりました。
 総督ピラトにイエス様の命は預けられることになりました。ピラトは最初、ユダヤ人指導者に差し戻そうとしましたがそれは叶(かな)わず、次には釈放しようとしたり、むち打ちによって人々を納得させようとしました。ピラトには「この人には罪は認められない」という答えは出ていたのです。
 イエス様こそ私たち罪人のための救い主、この方こそ真理そのものであるにもかかわらず、人々は真理から遠ざかっていきました。ピラトは大多数の意見に乗ったり、自分の利益を優先しました。ユダヤ人指導者たちは目的達成のためなら手段を選ばず、また自分から罪の中に留まる道を選んでいきました。
 しかし、このようにして罪のないイエス様がまるで罪人、犯罪人のように扱われて十字架へと向かわれました。これはまさにピラト、ユダヤ人指導者、そして私たちすべての身代わりとなるためだったのです。

☆★☆ 次週 2017年 4月 9日(日)の予定 ☆★☆
  『完了した』 ※キリストの受難週
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 19:17-30/新約聖書
タグ:聖書のお話
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イースター礼拝! [スペシャル☆ニュース!]

『イースター礼拝』へご招待!


4月 16日(日)はイースター。イエス・キリストの復活を記念する大切な日です。
教会では「イースター礼拝」を行い、また、子どもたち向けの「子どもイースター集会」も行います。
ぜひ皆様、お出かけ下さい。心よりお待ちしております。

☆「イースター礼拝」 午前10時~11時
☆「子どもイースター集会」 午後2時~3時半
イースターチラシ 2017.jpg


★以下は、イースターをイメージし、教会のハレルヤクラブ(子ども集会)で作成した壁掛けです。教会の中に飾ってあります。
イースター_壁紙 2017.JPG

タグ:お知らせ
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『穏やかに、そして静かに…』(近所のおばあちゃん:その3) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 9>

 
 思いもよらない出来事だった。泥棒呼ばわりされてしまったのだから…。亀裂が入ったような状態になったが、結局、おばあちゃんとの関わりは続いた。次第に状況を理解してくれたので、私との信頼関係は回復していった。
 退院して自宅に戻れたものの、心臓が安心できる状態になることはなかった。市役所の福祉の方と連携しながら見守った。
 しばらくして特別養護老人ホームへの入所の道が開かれた。穏やかに暮らせる環境が保障され、本当にほっとした。
 礼拝への出席は、教会のメンバーが送迎することで実現した。日曜日を楽しみにして過ごし、やがて洗礼を受けた。その日は本当に嬉しそうだった。
 「思い上がりじゃないわよね?」
 おばあちゃんはよく口にした。イエス様は自分を愛してくれるのか、天国に連れて行ってくれるのか、時々心配になったのだ。
 聖書の御言葉を時々教えてあげた。
 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)
不安がなくなり、とても嬉しそうだった。私はおばあちゃんに言った。
 「思い上がりなんかじゃないよ!」と。
 イエス様のいる天国に行くことが楽しみであり、目標でもあった。おばあちゃんの生き甲斐だったのかもしれない。
 ・・・ その日は静かに訪れた。
 おばあちゃんの地上での生涯は81年で閉じられた。そして、生前最も楽しみにしていたイエス様のもとへと召されて行った。身寄りのない方だったが、葬儀は教会で行った。遺骨は教会の墓地に納めた。私たちは年に一度、記念礼拝を行ない、先に亡くなった方々を偲んでいる。

〔2017.03/ほっとひと息・第109号〕

タグ:エッセイ
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『急がば回れ』 [コラム Column こらむ!]

 他人のことをとやかく言えない身であることを承知した上でのことですが、私たちは「楽」をしたいと思っているでしょう。苦しいより楽しい、遅いより早い、遠いより近い、長いより短い、面倒くさいことより簡単を選びたいのです。
 実際、心の中で「ああ面倒くさい」と連発してしまう自分に気づきます。時間のかかる道を選ばず、少しでも早く着く道を選ぼうとしています。ネットショッピングをしながら「楽だなあ」とつぶやいています。
 ただ、弊害が出てきているような気がしてなりません。そして「急がば回れ」ということわざが胸に響いてきます。「楽」をしても良いことは多々ありますが、「面倒」を選ぶべきこともあるだろうと思います。
 スマホで子育て支援ができると話題になりました。「楽」になるでしょうが、幼い子どもが親の顔や目を正面から見なくなる、親の言葉を聞く機会が少なくなるでしょう。子育てに面倒はつきもの、時間のかかるもの、でも苦労のしがいがあるものです。
 タブレットを小学生に持たせて授業をする話に戸惑いました。先生の表情より端末の画面、字を書いたり消したりの苦労をしないでタッチパネルでの操作。「楽」だし「楽しそう」です。面倒くさい勉強が楽になるでしょうが、10年後20年後に実験結果が明らかになるでしょう。
 ほんの一例ですが、「面倒」でもそれを選択した方が良い分野を残したい…。「若い時の苦労は買ってでもせよ」の気持ちです。

〔2017.03/ほっとひと息・第109号〕

タグ:オピニオン
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『見えないものを見て生きる』 [バイブル・メッセージ]

 皆様、お変わりありませんか。
 さて、角度を変えて物事を見た時に、そこに新しい発見をするということがあります。いつも同じ目線、視点では見えてこないことがあるのだと気づかされます。
 次の聖書の言葉を読んでみてください。
 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(第2コリント4:16-18)
 この聖書の言葉から、普段とは違った視点で物事を見ることの大切さを教えられます。悩み、苦しみ、悲しみ…、それらを角度を変えて見てみたいと思います。
 「外なる人」は肉体、これは年齢と共に衰えていきます。しかし「内なる人」である魂は、神様への信仰、祈り、聖書の言葉により養われ、毎日新しくされるのです。だから勇気を失わず、失望しないのです。
 苦悩や試練は決して歓迎されるものではありませんが、一時的なものであるというのです。やがて天国において永遠の祝福の中に生きることを思ったら軽いものに見えて来るのだと。「今の時の患難」より「永遠の栄光」に目線を移した結果です。
 「見えるもの」は一時的、「見えないもの」はいつまでも続くとありますが、今見えている現実世界から逃げ出したくて言っているのではありません。最も価値あるもの、人生の目標をどこに置いて生きているかを問いかけているのです。
 疲れ、涙し、目の前が暗くなる出来事が続いても、希望を失わない生き方があることを知ってほしいと思います。-牧師-

〔2017.03/ほっとひと息・第109号〕

タグ:聖書のお話
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☆ 教会カフェ ☆ [スペシャル☆ニュース!]

『教会カフェ』にいらっしゃいませんか!


私たちの教会では、 “教会カフェ” を行っています。
地域の皆様に気軽にご利用いただいて、気分転換、安らぎのほっとひと時を過ごしていただけたらと願っています。
利用料金はいただきません。
土曜日の午後1時~5時、毎月2回位の実施を計画しています。
詳しい日程などは下記のとおりです。
チラシもご覧くださいませ!(クリックすると大きく見られると思います)
皆様のお出でを心よりお待ちしております。

2017年4月~6月の予定

  4月/ 15日(土) 、 29日(土)
  5月/  6日(土) 、 20日(土)
  6月/  3日(土) 、 17日(土)

カフェ_表_2014.03.jpg

教会カフェ3_2013.05.25.JPG
 
教会カフェ2_2013.05.25.JPG

タグ:お知らせ
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無になって [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
あなたは無から世界を創造されました。
だから私たちは無になることを恐れてはいけないと思うのです。
自分は何か持っている、何かしているとか、自分が先立っている間は、それは無ではないでしょう。
神様、あなただけしかない、あなたのほかには何もないという思い、信仰を持てた時にはじめて、あなたはみわざをなさいます。
自分が無となり、あなたのほかに何も持たない人において、自分の思いや考えでなくて、あなたのみことば、みこころが先に立つ歩みができるのでしょう。
私をそのような人へと成長させてください。
そして、あなたの豊かなみわざを見る者としてくださいますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
祈り.jpg

タグ:祈り
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『どこまで関われるか』(近所のおばあちゃん:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 8>


 教会の近くでのおばあちゃんとの小さな出会い。これを機会におばあちゃんは礼拝に来てくれるようになった。ただ、一人暮らしで、心臓に病気もあり、地面を擦るようにして歩く姿を見ていると、いつどこで転ぶかわからない。心配になってきた。
 日曜日に教会で会う以外にも時々訪問するようになった。そしていつの間にか買い物を手伝うようになった。食料品などに加えて鳥の餌も必需品だったから…。また、通院に付き合うこともあった。
 何度も何度も自動車を出してサポートしてきたが、いよいよ心臓の病気のために入院する事態になってしまった。やはり一人暮らしはもう無理かと感じた。
 仕方のないことだったが、おばあちゃんの通帳を預ることになり、お金の管理を引き受けた。唯一人と言ってもよい親戚の方と連絡は取れたが、全部こちらに任せると。もちろんお金の管理の仕方も含めて…。
 お見舞いに行った時、思いがけないことが起きた。おばあちゃんから「私の通帳、見せて!」と言われたのだ。そしておばあちゃんから「泥棒!」と叫ばれてしまった。
 実は、ATMが使えない通帳だったので、親戚の承諾を得て、私名義の口座を開設して管理を始めた矢先だったのだ。
 まさかこんなことが…。理由も何も一切聞く耳なし。全てを元に戻した通帳を見せるしか方法がなかった。長い付き合いのおばあちゃんとの間に生じた亀裂…。落ち込んだ。ただ、同じ病室の方から同情の声をいただけたのが唯一の救いだった。
 どこまで関われるのだろう…、そんな難しさを経験した。しかし、放っておくわけにはいかない。何を言われてもこの関わりが終わることはなかった。    

〔2016.12/ほっとひと息・第108号〕

タグ:エッセイ
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『自分の言葉は大丈夫か』 [コラム Column こらむ!]

 最近、自分に問いかけたことがあります。果たして「自分の言葉は大丈夫か…」と。
 米国の大統領選挙で一人の候補者は、敵を作っては攻撃し、聴衆もそれに同調していきました。「自分たちが日頃思っていたことを代わりに言ってくれた」からだと…。
 もし遠慮のない発言を言われる側だったら、同じ言葉で反論するかもしれません。
 沖縄でヘリパッド建設に反対する住民と機動隊が衝突する中、機動隊員から差別発言が飛び出しました。戦時中も戦後も集中的に苦しめられてきた沖縄の歴史を思ったら、あの見下した発言は許されません。
 しかし、沖縄の方々があの発言に苛立っている程に、いわゆる本土にいる私はあの発言を問題視していただろうか…。
 インターネット上で飛び交う言葉は時に辛辣です。攻撃対象が見つかると我先にと厳しい言葉が書き込まれていきます。その言葉はだいたい感情的で、威圧的でもあります。匿名的な世界だからかもしれませんが、制御が働かないように見えます。
 我慢ならないと思うニュースを知った時、テレビの前で、新聞を開く手をそのままに暴言のような言葉を小声で吐く自分がいます。誰も聞いていないという前提で…。
 その時に思い起こした言葉があります。「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29)私の口にも見張りが必要だと気づかされます。

〔2016.12/ほっとひと息・第108号〕

タグ:オピニオン
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