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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

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『キリストのおっちゃん!』(公園の子どもたち:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載11>


 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 毎週土曜日の午後、公園に出没することになった私。タンバリンの音とともに子どもたちが集まり、楽しい聖書の紙芝居とひげのおじさんとの遊びのひと時。何度も来てくれるリピーターも増えていった。
 私もちょっとだけ有名人になったのかな?と思うエピソードがあった。
 銀行のATMに並んでいた時のことだった。私の前にいる母親の横にいた子どもが振り返り、まもなく「あ、キリストのおっちゃん!」と。「えっ!」と戸惑うお母さんに簡単に説明し理解をしていただいた。
 土曜日のある日、子どもがいくつもの花が咲いた梅の枝をプレゼントしてくれた。「お母さんから」。あまりにも嬉しい出来事に「これは御礼を言わないと…」と思い、子どもの帰宅に併せて家を訪ね、御礼を言うことができた。ご家族の理解と共に信頼を得ていることを知り、神様に感謝した。
 子どもたちの家族の理解と信頼はそれだけではなかった。
 「教会訪問ツアー」を企画したところ、家族の許可を得て何人もの子どもたちが教会に遊びに来てくれた。当時、まだ赤ちゃんだった息子にみんなが夢中になった。
 教会で恒例の夏のキャンプがあり、ダメだろうなと思いながら誘ってみた。すると、「お母さんが行ってもいいって!」との報告が届いた。誘った私の方がビックリ! 3泊4日のキャンプを一緒に楽しんだ。
 他にも、自宅を訪ねても快く受け入れてくれたご家族があった。子どもたちは自分の家にキリストのおっちゃんを招きたいと思ってくれていたからなのだ。
 こんなにもうまく事が運んでいた紙芝居の活動だが、それほど長くは続かなかった。

〔2017.09/ほっとひと息・第111号〕

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『さあ、紙芝居を始めるよ~!」(公園の子どもたち:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載10>


 土曜日の午後、私は教会から比較的近くにある公園へと出かけて行った。楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえて来る。
 紙芝居をすることが目的だった。御世辞にも絵が上手とは言えない私の手作り。昔ながらの紙芝居とはスタイルは全く違うもの。真っ黒のラシャ紙を貼ったボードに絵を貼り付けるようにしながらお話するというものだった。
 タンバリンを叩くと始まる。子どもたちがこちらに注目する緊張の瞬間。このタンバリンで私にスイッチが入る。
 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 興味津々の表情を浮かべながら幼児や小学生たちが近づいて来る。ひげをはやした珍しいこのおじさん、何を始めるんだろう…? 子どもたちの興味は尽きない。
 短い簡単な子ども向けの教会の歌をタンバリンでリズムを取りながら歌う。さすが子どもたち。歌はすぐに覚えてくれた。
 お話はいつも聖書から。イエス様の話などを子どもたちは目をキラキラさせて聞いてくれた。聖書の言葉と絵が書いてあるミニカードと飴がお話を聞いてくれた子どもたちへのご褒美。
 実はお話の時間は短い。むしろその後の時間が長い。何をするのか…? 子どもたちとただ遊ぶのである。鬼ごっこ、だるまさんが転んだ、ジャンケンゲーム…。中には自分と家族のことをたくさん話してくれる子どももいた。手をつないできたり、背中におぶさってきたり、じゃれて来る子どももあった。初対面のひげのおじさんに心をゆるす姿に驚きながら、私は子どもたちの名前を覚えて名前で呼んだ。
 「また来週ね!」 子どもたちが一生懸命に手を振ってくれることは喜びだった。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

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『穏やかに、そして静かに…』(近所のおばあちゃん:その3) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 9>

 
 思いもよらない出来事だった。泥棒呼ばわりされてしまったのだから…。亀裂が入ったような状態になったが、結局、おばあちゃんとの関わりは続いた。次第に状況を理解してくれたので、私との信頼関係は回復していった。
 退院して自宅に戻れたものの、心臓が安心できる状態になることはなかった。市役所の福祉の方と連携しながら見守った。
 しばらくして特別養護老人ホームへの入所の道が開かれた。穏やかに暮らせる環境が保障され、本当にほっとした。
 礼拝への出席は、教会のメンバーが送迎することで実現した。日曜日を楽しみにして過ごし、やがて洗礼を受けた。その日は本当に嬉しそうだった。
 「思い上がりじゃないわよね?」
 おばあちゃんはよく口にした。イエス様は自分を愛してくれるのか、天国に連れて行ってくれるのか、時々心配になったのだ。
 聖書の御言葉を時々教えてあげた。
 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)
不安がなくなり、とても嬉しそうだった。私はおばあちゃんに言った。
 「思い上がりなんかじゃないよ!」と。
 イエス様のいる天国に行くことが楽しみであり、目標でもあった。おばあちゃんの生き甲斐だったのかもしれない。
 ・・・ その日は静かに訪れた。
 おばあちゃんの地上での生涯は81年で閉じられた。そして、生前最も楽しみにしていたイエス様のもとへと召されて行った。身寄りのない方だったが、葬儀は教会で行った。遺骨は教会の墓地に納めた。私たちは年に一度、記念礼拝を行ない、先に亡くなった方々を偲んでいる。

〔2017.03/ほっとひと息・第109号〕

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『どこまで関われるか』(近所のおばあちゃん:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 8>


 教会の近くでのおばあちゃんとの小さな出会い。これを機会におばあちゃんは礼拝に来てくれるようになった。ただ、一人暮らしで、心臓に病気もあり、地面を擦るようにして歩く姿を見ていると、いつどこで転ぶかわからない。心配になってきた。
 日曜日に教会で会う以外にも時々訪問するようになった。そしていつの間にか買い物を手伝うようになった。食料品などに加えて鳥の餌も必需品だったから…。また、通院に付き合うこともあった。
 何度も何度も自動車を出してサポートしてきたが、いよいよ心臓の病気のために入院する事態になってしまった。やはり一人暮らしはもう無理かと感じた。
 仕方のないことだったが、おばあちゃんの通帳を預ることになり、お金の管理を引き受けた。唯一人と言ってもよい親戚の方と連絡は取れたが、全部こちらに任せると。もちろんお金の管理の仕方も含めて…。
 お見舞いに行った時、思いがけないことが起きた。おばあちゃんから「私の通帳、見せて!」と言われたのだ。そしておばあちゃんから「泥棒!」と叫ばれてしまった。
 実は、ATMが使えない通帳だったので、親戚の承諾を得て、私名義の口座を開設して管理を始めた矢先だったのだ。
 まさかこんなことが…。理由も何も一切聞く耳なし。全てを元に戻した通帳を見せるしか方法がなかった。長い付き合いのおばあちゃんとの間に生じた亀裂…。落ち込んだ。ただ、同じ病室の方から同情の声をいただけたのが唯一の救いだった。
 どこまで関われるのだろう…、そんな難しさを経験した。しかし、放っておくわけにはいかない。何を言われてもこの関わりが終わることはなかった。    

〔2016.12/ほっとひと息・第108号〕

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『縁側にて』(近所のおばあちゃん:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 7>


 教会の近くを歩いている時のことだった。ふと、どこからか視線を感じた。辺りを見回してみたところ、小さな家の縁側にたたずむおばあちゃんの姿があった。
 その頃の私と言えば、まだ若く、トレードマークの髭やもみ上げも黒々としており、とても目立つものだった。そんな珍しい風貌をしていたからなのか、おばあちゃんは私に注意を向けていた。
 「こんにちはー!」
 私の挨拶に対する反応は早かった。やはりあのおばあちゃんに間違いなかったようだ。「このまま通り過ぎてはいけないよ」という声なき声のようなものを感じ、私はその縁側へと静かに向かった。
 小鳥を飼う一人暮らしのおばあちゃん。餌の準備を丁寧に行っている最中だった。お部屋から鳥の可愛い鳴き声が聞こえてきたが、お部屋の様子が目に入った時、高齢者の一人暮らしの大変さが伺えた。
 「この近くにある教会の牧師をしているんですよ」と自己紹介をしたところ、おばあちゃんは幼少期の話をしてくれた。
 子どもの頃、飛行機でビラが撒かれてそれを受け取ったそうだ。そのビラにはキリスト教の話が書かれていて、イエス様に憧れていたんだということだった。昔の1枚のビラの記憶が、今もおばあちゃんの心にあり、しかもいつかキリスト教会に行きたいと思っていたという話だったから、本当に驚いてしまった。
 その後、おばあちゃんは自分のことをいろいろと話してくれた。生まれた町のこと、一人残されたこと、心臓の病気があること。この小さな出会いは、このおばあちゃんの生活を新しくするきっかけとなった。通り過ぎなくて本当に良かったと思った。つづく

〔2016.10/ほっとひと息・第107号〕

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『忘れられない8日間』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 6>


 「もう何年もあの子の笑顔を見ていませんでした。今日、笑顔が戻りました。」
 お母さんと共にあの末期の患者さんの嬉しい変化に誰もが気づき喜び合った。私の心は感動で震え、静かに興奮していた。
 しかし、こんなに素晴らしい日がいつまで続くのだろうか・・・。
 数日後に改めて病室を訪ねた。患者さんの心の変化とは別に、その容態は悪化しているようだった。
 最初の病床訪問から8日後にも顔を見に出かけた。患者さんの傍らに立った時、その変わりように一瞬、言葉を失いかけた。次回はないかもしれない・・・。
 「今日はいっしょに賛美歌を歌いませんか」と誘い、多くの人にも知られている「いつくしみ深き」を歌った。その歌詞に改めて涙ぐむほどの感動を覚えた。いっしょにいた看護師さんたちも歌ってくれた。この時、病室には神様の愛が満ちていた。
 翌日、知らせが届いてしまった。まだ30代なのに・・・。辛い1日となった。
 私が会えたのはたった3回。でも本当に会えてよかった。神様はあの患者さんのために素晴らしいことをして下さった。
 やがて天国であの方と再会できるということを私は楽しみにしている。私はこの希望に慰められている。
 ある日、思いがけない手紙が届いた。差出人はあの病棟の看護師さん。医療者にはできない末期の患者さんとの関わり方と、その患者さんにみられた麗しい変化に感銘を受けたからという内容だった。恐縮するばかりだった。
 神様が出会いを用意した。そして一人の痛みの中にいる人と家族を笑顔に変えた。すべて神様の愛による出来事である。

〔2016.7/ほっとひと息・第106号〕

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『涙、そして笑顔』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 5>


 「末期の状態にある30代の患者さんにお会いしたい・・・」、その切なる祈りは応えられ、病床訪問の道は開かれた。
 予定した面会の日を迎えた。仲立ちをしてくれた教会のメンバーでもある看護師とともに病室を訪ね、その扉を開けた。
 患者さんとそのお母さんに加えて、なぜか何人もの看護師さんも待っていた。
 経験したことのない緊張感を抱きながら、心の中では祈りつつベッドに近づき、簡単に自己紹介をし、言葉をかけた。
 「大変だったですね・・・。」
 まもなく不思議なことが起きた。患者さんの目に涙があふれているではないか。わずかな言葉だったが、それは患者さんの心の重荷に触れた言葉となったのだ。
 患者さんの心が開かれたことを私は知った。長年の苦悩とともに背負ってきた心の重荷を降ろして救われたい、その切なる思いが伝わってきた。
 聖書のある箇所を開いて短くお話しをした。神様が私たちを愛して下さっていること、私たちはみな罪人であること、努力によってではなくただ恵みによって救われ、神様の子どもとなって、私たちは天国に行けるようになることをお話しした。
 私は患者さんに尋ねた。
 「イエス様を救い主と信じますか?」
 患者さんは驚くほど素直に応じ、イエス様を信じるお祈りを一緒にした。涙があふれていた顔は、すでに素敵な笑顔に包まれていた。患者さんは救われたのだ。
 病室を出る時、お母さんが私を呼び止め、声をかけてくれた。
 「もう何年もあの子の笑顔を見ていませんでした。今日、笑顔が戻りました。本当にありがとうございました。」と。  

〔2016.5/ほっとひと息・第105号〕

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『出会うまでの道のり』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 4>


 それは何気ない会話から始まった。
 教会のあるメンバーが3交代で看護師の仕事をしていた。現場に出てまだ数年。自分の未熟さに悩んだり落ち込んだり・・・。でも、教会で礼拝をし、聖書を学び、牧師に自分の気持ちを話してお祈りしてもらうことの一つ一つが、彼女が自分を取り戻すための大切な時間となっていた。
 その日はなぜか自分のことではなく患者さんの話をしてくれた。いつもお祈りしながら患者さんと向き合っている彼女は、その患者さんのために特別に心を砕いてお祈りしていたようだった。
 重い病気、末期の状態・・・、しかもまだ30代の患者さん。「クリスチャンとして何かできないか・・・」と。それはまるで自分の家族を思いやるような話に聞こえた。
 「もし、私が会うことができるなら、ぜひお会いしたい。何を話せるかわからないが、患者さんのお役に立ちたい・・・。」
 この提案は簡単なことではなかった。見ず知らずの者が気軽に病室を訪ねることなどできないし、「人の弱みに付け込むのか!」と誤解され罵倒されるかもしれない。
 慎重に進めなければならないことは言うまでもなかった。彼女には2つのことをお願いした。その患者さんが牧師に会ってもいいと言ってくれるかどうかの意思を確認すること、そしてその病棟の師長さんがこのような面会を許可してくれるかどうかの了解を得ること。
 私たちはただただお祈りした。この道が開かれるように・・・、そしてその患者さんの心に神様の愛が届けられるように・・・。
 彼女から報告が来た。患者さんからは「ぜひ会いたい」と。師長さんからの了解も得てきてくれた。道は開かれたのだ。 つづく

〔2016.3/ほっとひと息・第104号〕

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『今、食べてるのっ!』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 3>


 我が家の近くの住人とわかった例のおじさん。生活は大変そうだし、目も耳も足も不自由だし、日曜日の礼拝に一緒に行くようになったが、おじさんとの関わりは日曜日だけではなかった。まさか、まさかの展開。とにかく近所だから・・・。
 早朝のピリピリ! かなり早い時間に呼び鈴が押された。頼みごとがあって来るのだが、慌てて飛び起きたことが何度もある。こんな時間に来なくても…、時にはこちらがピリピリしてしまった。
 おじさんの家に様子を見に行くこともあった。言葉にし難い暮らしぶり。私の目は次第に慣れていったが、目の前に住んでいる人たちには我慢できない様子だった。ある時、その人から私に連絡が入った。
 「ものすごい音がしているから来て!」
 お風呂が空焚きになり始めていた。危機一髪。一人暮らしにも限界を感じた。ほどなく老人ホームへの入所が決まった。
 楽しい思い出がいっぱいある。
 礼拝後にお茶を出すと、お茶に目をグーッと近づけるのだ。「何しているの?」湯気を目に入れるのが気持ちいいらしい。
 教会で一緒に食事した時、話しかけたら無視された。聞こえていないだけかと思い大声で何度か話しかけたら、「今、食べてるのっ!」と。集中していたいらしい。なるほどっ!黙って味わいたいのだ。ただ、おじさんの口の中には歯が1本もない。長く歯茎で食べているので頑丈になったらしい。普通より食べるのに時間がかかるから、ついつい黙ってしまうのかもしれない。
 近くに住んでいた時も老人ホームに入所してからも教会の礼拝には一緒に行った。信仰を持ち、洗礼も受けた。神様のなさることに驚き感謝するばかりだ。

〔2015.12/ほっとひと息・第103号〕

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『ずるずると関わり続けて』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 2>


 道端に倒れ死を待っていたおじさんと関わることになってしまった。片目は見えず、耳は大声でないと聞こえない様子。足も不自由なこの人を放ってはおけない・・・、その思いだけが自分を動かしていた。
 車に乗せて教会に向かった。体の臭いに耐えながら話を聞いたところ、お姉さんが市内にいることがわかった。
 「良かった。それならこの人を頼める!」
 教会に寄り、まずは聖書をプレゼント。そしてもやもやした気持ちが晴れてきそうな希望を抱きながら道案内をしてもらい、お姉さんに会わせることができた。おじさんはまもなくお姉さんに叱られていたが、一方で人懐っこそうな笑顔を私に見せ、目を輝かせながら小声で耳打ちしてきた。
 「食べ物・・・、もらって行こうな!」
 少し前に自暴自棄になって死のうとしていたのはウソだろうか・・・、その変わりようには正直なところ戸惑ってしまった。
 おじさんをお姉さんに頼むことはできなかった。ずるずると関わり続けてしまっている私の隣で、おじさんは収穫を手に帰ってきた人のように喜んでいた。
 「とにかく、住まいを聞いて送り届けよう。このまま1日が終わってしまう!」
 道案内をしてもらいおじさんの住まいに向かうと、やがて見覚えのある風景が・・・。
 「あれ、最初に戻って来てる?」
 妙な気分のままやっと目的地に着いた。
 「えーっ、我が家の近くじゃないのー!」
 驚いている私におじさんが言った。
 「この聖書で俺のことを導いてよー!」
 神様が用意した出会いだったのだ。この地域に住むことも含めて・・・。私の心のもやもやが不思議と晴れていった。つづく

〔2015.9/ほっとひと息・第102号〕

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