So-net無料ブログ作成

愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

エッセイ/共に喜び、共に泣いて ブログトップ
前の10件 | -

『新しく生まれる』(別な社会で生きて来た方:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載14>


 私の人生で起きた“まさか”の出会い。拘留中の男性と初めて対話したのだ。
 彼が真剣に人生をやり直したいと思っていたことが私には嬉しかった。彼はイエス様による罪の赦しと救いの話を真面目に聞き、一緒にお祈りもしてくれた。彼の中にキリスト教の信仰が面会室で芽生えた。
 しばらくして彼からの音信は途絶えてしまった。「どこにいるのだろうか…」、私には知る方法もなかったが、3年程が経ったある日、不思議と再会することができた。
 彼は言った。「今でもイエス様を信じている…」と。どこまで本心なのか、その言葉をどこまで信用できるのか、お人好しの私でもすぐに納得することはできなかった。ところが、彼は次第に教会の礼拝にきちんと出席するようになり、教会の方々との交流も普通にできるようになっていった。指の本数は人より少なかったが、心がイエス様に向いていたことは確かだった。
 不安な出来事がいろいろとあったのも事実だ。日常生活をある程度知っていた私には、反社会的な集団の影やそれに近い雰囲気が彼の中に見え隠れするのが見えていたのだ。しかし、教会の方々は本当に彼を愛し、受け入れ、信頼していた。
 転機が訪れた。彼の奥様も一緒に教会に来ていたが、病気もあってある日突然、亡くなってしまった。彼の悲しみは本当に大きかった。しかし、この後、彼は明らかに変わり始めた。まもなく彼の内には不穏な影は消え、そして洗礼を受けた。彼は教会で自分の半生を語り、反社会的な人生の事も正直に明かした。「人は新しく生まれることができる!」のだ。教会の方々は今まで通り、彼を愛し、彼を受け入れた。この教会の姿に私は本当に安らぎを覚えた。

〔2018.05/ほっとひと息・第114号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

『それは一本の電話から』(別な社会で生きて来た方:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載13>


 それは一本の電話から始まった。そこに全く別な社会で生きて来た人との出会いがあった。想像できないことが待っていた。
 電話は警察署からだった。
 「今、拘留中の男性がですね、牧師さんと話をしたいと言っています。こういうことって、やってもらえるんですか?」
 私は戸惑った。同時に、神様が与えようとしている出会いを断ることなどとてもできないという思いもあった。
 「あー、いいですよ。伺いますよ。」
 そんな経験など一度もないのに、背伸びしたような返答をした自分に驚いた。
 相手の顔もわからない、なぜ拘留されているのかも知らない、知らないことだらけのまま面会室に飛び込んだ。私はそこで何を話したのだろうか…。覚えているのは、緊張と恐れと不安の中で口が乾くばかりだったこと位だ。でも、相手の方は満足したらしいという事だけは伝えらえた。
 何日か経ったある日、また電話が鳴った。
 「警察の者ですが、先日の方とは違う男性がですね、『自分も牧師さんと話をしたい』と言っているんです。大丈夫ですか?」
 よくわからないが、牧師と面会したら、それがとても良かったと評判になったらしいのだ。それで二人目の方が現われた。
 葛藤があった。私は利用されているだけなのか、それとも本気で人生をやり直したいと願ってきっかけを掴もうとしているのか…。後者だと信じて関わりを続けた。
 二人目の方は、悪い道を離れたい、まっすぐに生きたいと本当に願っているようだった。私はイエス様による罪の赦しと救いについてお話しし、お祈りした。彼は真剣に手を組んでお祈りに心を合わせてくれた。神様が与えた出会いがここにあった。

〔2018.03/ほっとひと息・第113号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

『再会の日を夢見て』(公園の子どもたち:その3) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載12>


 子どもたちが目を輝かせて集まり、お話しを聞いてくれた紙芝居。いっしょに公園の中を走り回りながら遊んだりもした。たぶん1,000人位の子どもたちに会ってきたようだ。約300冊の新約聖書を子どもたちにプレゼントすることもできた。保護者の方々に理解され、信頼も得てきた。私には順風満帆のように思えた。
 しかし、試練の時は突然やってきた。
 あるカルト宗教が起こした毒ガスを使った驚愕の事件…。多数の死者が出た。社会には今までにない空気が立ち込めるようになった。「宗教は怖い!」そして公園で行う紙芝居にも次第に影響が出始めた。
 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 子どもたちはいつものように集まってくれた。ところが、後ろの方にいる保護者から声がかかるようになった。「こっちに戻っておいで!」今までなら保護者も一緒に付き合ってくれたのだが…。
 紙芝居の活動に吹き始めた追い風はすでにその風向きを変えていた。多くの人々が思う「宗教は怖い」という強い向い風を私は全身で受け止めることになったのだ。
 やがて、時代の移り変わりでもあるのだろうか…、子どもたちが公園で遊ぶ姿を見ることが少なくなっていった。残念ながら、紙芝居の活動も休止することを決めた…。
 けれども、私には夢がある。それは、かつて出会った子どもたちとの再会である。大人になった彼らとどこかで再会したい!その日を思って祈っている。いや、きっといつか再会できるに違いないと心密かに信じている。ただ一つ、心配なことがある。彼らは私の顔を思い出してくれるかもしれないが、果たして私は彼らの名前を思い出せるだろうか・・・。あ~、心配だ!!

〔2017.12/ほっとひと息・第112号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

『キリストのおっちゃん!』(公園の子どもたち:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載11>


 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 毎週土曜日の午後、公園に出没することになった私。タンバリンの音とともに子どもたちが集まり、楽しい聖書の紙芝居とひげのおじさんとの遊びのひと時。何度も来てくれるリピーターも増えていった。
 私もちょっとだけ有名人になったのかな?と思うエピソードがあった。
 銀行のATMに並んでいた時のことだった。私の前にいる母親の横にいた子どもが振り返り、まもなく「あ、キリストのおっちゃん!」と。「えっ!」と戸惑うお母さんに簡単に説明し理解をしていただいた。
 土曜日のある日、子どもがいくつもの花が咲いた梅の枝をプレゼントしてくれた。「お母さんから」。あまりにも嬉しい出来事に「これは御礼を言わないと…」と思い、子どもの帰宅に併せて家を訪ね、御礼を言うことができた。ご家族の理解と共に信頼を得ていることを知り、神様に感謝した。
 子どもたちの家族の理解と信頼はそれだけではなかった。
 「教会訪問ツアー」を企画したところ、家族の許可を得て何人もの子どもたちが教会に遊びに来てくれた。当時、まだ赤ちゃんだった息子にみんなが夢中になった。
 教会で恒例の夏のキャンプがあり、ダメだろうなと思いながら誘ってみた。すると、「お母さんが行ってもいいって!」との報告が届いた。誘った私の方がビックリ! 3泊4日のキャンプを一緒に楽しんだ。
 他にも、自宅を訪ねても快く受け入れてくれたご家族があった。子どもたちは自分の家にキリストのおっちゃんを招きたいと思ってくれていたからなのだ。
 こんなにもうまく事が運んでいた紙芝居の活動だが、それほど長くは続かなかった。

〔2017.09/ほっとひと息・第111号〕

タグ:エッセイ
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

『さあ、紙芝居を始めるよ~!」(公園の子どもたち:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載10>


 土曜日の午後、私は教会から比較的近くにある公園へと出かけて行った。楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえて来る。
 紙芝居をすることが目的だった。御世辞にも絵が上手とは言えない私の手作り。昔ながらの紙芝居とはスタイルは全く違うもの。真っ黒のラシャ紙を貼ったボードに絵を貼り付けるようにしながらお話するというものだった。
 タンバリンを叩くと始まる。子どもたちがこちらに注目する緊張の瞬間。このタンバリンで私にスイッチが入る。
 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 興味津々の表情を浮かべながら幼児や小学生たちが近づいて来る。ひげをはやした珍しいこのおじさん、何を始めるんだろう…? 子どもたちの興味は尽きない。
 短い簡単な子ども向けの教会の歌をタンバリンでリズムを取りながら歌う。さすが子どもたち。歌はすぐに覚えてくれた。
 お話はいつも聖書から。イエス様の話などを子どもたちは目をキラキラさせて聞いてくれた。聖書の言葉と絵が書いてあるミニカードと飴がお話を聞いてくれた子どもたちへのご褒美。
 実はお話の時間は短い。むしろその後の時間が長い。何をするのか…? 子どもたちとただ遊ぶのである。鬼ごっこ、だるまさんが転んだ、ジャンケンゲーム…。中には自分と家族のことをたくさん話してくれる子どももいた。手をつないできたり、背中におぶさってきたり、じゃれて来る子どももあった。初対面のひげのおじさんに心をゆるす姿に驚きながら、私は子どもたちの名前を覚えて名前で呼んだ。
 「また来週ね!」 子どもたちが一生懸命に手を振ってくれることは喜びだった。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

『穏やかに、そして静かに…』(近所のおばあちゃん:その3) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 9>

 
 思いもよらない出来事だった。泥棒呼ばわりされてしまったのだから…。亀裂が入ったような状態になったが、結局、おばあちゃんとの関わりは続いた。次第に状況を理解してくれたので、私との信頼関係は回復していった。
 退院して自宅に戻れたものの、心臓が安心できる状態になることはなかった。市役所の福祉の方と連携しながら見守った。
 しばらくして特別養護老人ホームへの入所の道が開かれた。穏やかに暮らせる環境が保障され、本当にほっとした。
 礼拝への出席は、教会のメンバーが送迎することで実現した。日曜日を楽しみにして過ごし、やがて洗礼を受けた。その日は本当に嬉しそうだった。
 「思い上がりじゃないわよね?」
 おばあちゃんはよく口にした。イエス様は自分を愛してくれるのか、天国に連れて行ってくれるのか、時々心配になったのだ。
 聖書の御言葉を時々教えてあげた。
 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)
不安がなくなり、とても嬉しそうだった。私はおばあちゃんに言った。
 「思い上がりなんかじゃないよ!」と。
 イエス様のいる天国に行くことが楽しみであり、目標でもあった。おばあちゃんの生き甲斐だったのかもしれない。
 ・・・ その日は静かに訪れた。
 おばあちゃんの地上での生涯は81年で閉じられた。そして、生前最も楽しみにしていたイエス様のもとへと召されて行った。身寄りのない方だったが、葬儀は教会で行った。遺骨は教会の墓地に納めた。私たちは年に一度、記念礼拝を行ない、先に亡くなった方々を偲んでいる。

〔2017.03/ほっとひと息・第109号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

『どこまで関われるか』(近所のおばあちゃん:その2) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 8>


 教会の近くでのおばあちゃんとの小さな出会い。これを機会におばあちゃんは礼拝に来てくれるようになった。ただ、一人暮らしで、心臓に病気もあり、地面を擦るようにして歩く姿を見ていると、いつどこで転ぶかわからない。心配になってきた。
 日曜日に教会で会う以外にも時々訪問するようになった。そしていつの間にか買い物を手伝うようになった。食料品などに加えて鳥の餌も必需品だったから…。また、通院に付き合うこともあった。
 何度も何度も自動車を出してサポートしてきたが、いよいよ心臓の病気のために入院する事態になってしまった。やはり一人暮らしはもう無理かと感じた。
 仕方のないことだったが、おばあちゃんの通帳を預ることになり、お金の管理を引き受けた。唯一人と言ってもよい親戚の方と連絡は取れたが、全部こちらに任せると。もちろんお金の管理の仕方も含めて…。
 お見舞いに行った時、思いがけないことが起きた。おばあちゃんから「私の通帳、見せて!」と言われたのだ。そしておばあちゃんから「泥棒!」と叫ばれてしまった。
 実は、ATMが使えない通帳だったので、親戚の承諾を得て、私名義の口座を開設して管理を始めた矢先だったのだ。
 まさかこんなことが…。理由も何も一切聞く耳なし。全てを元に戻した通帳を見せるしか方法がなかった。長い付き合いのおばあちゃんとの間に生じた亀裂…。落ち込んだ。ただ、同じ病室の方から同情の声をいただけたのが唯一の救いだった。
 どこまで関われるのだろう…、そんな難しさを経験した。しかし、放っておくわけにはいかない。何を言われてもこの関わりが終わることはなかった。    

〔2016.12/ほっとひと息・第108号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

『縁側にて』(近所のおばあちゃん:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 7>


 教会の近くを歩いている時のことだった。ふと、どこからか視線を感じた。辺りを見回してみたところ、小さな家の縁側にたたずむおばあちゃんの姿があった。
 その頃の私と言えば、まだ若く、トレードマークの髭やもみ上げも黒々としており、とても目立つものだった。そんな珍しい風貌をしていたからなのか、おばあちゃんは私に注意を向けていた。
 「こんにちはー!」
 私の挨拶に対する反応は早かった。やはりあのおばあちゃんに間違いなかったようだ。「このまま通り過ぎてはいけないよ」という声なき声のようなものを感じ、私はその縁側へと静かに向かった。
 小鳥を飼う一人暮らしのおばあちゃん。餌の準備を丁寧に行っている最中だった。お部屋から鳥の可愛い鳴き声が聞こえてきたが、お部屋の様子が目に入った時、高齢者の一人暮らしの大変さが伺えた。
 「この近くにある教会の牧師をしているんですよ」と自己紹介をしたところ、おばあちゃんは幼少期の話をしてくれた。
 子どもの頃、飛行機でビラが撒かれてそれを受け取ったそうだ。そのビラにはキリスト教の話が書かれていて、イエス様に憧れていたんだということだった。昔の1枚のビラの記憶が、今もおばあちゃんの心にあり、しかもいつかキリスト教会に行きたいと思っていたという話だったから、本当に驚いてしまった。
 その後、おばあちゃんは自分のことをいろいろと話してくれた。生まれた町のこと、一人残されたこと、心臓の病気があること。この小さな出会いは、このおばあちゃんの生活を新しくするきっかけとなった。通り過ぎなくて本当に良かったと思った。つづく

〔2016.10/ほっとひと息・第107号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

『忘れられない8日間』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 6>


 「もう何年もあの子の笑顔を見ていませんでした。今日、笑顔が戻りました。」
 お母さんと共にあの末期の患者さんの嬉しい変化に誰もが気づき喜び合った。私の心は感動で震え、静かに興奮していた。
 しかし、こんなに素晴らしい日がいつまで続くのだろうか・・・。
 数日後に改めて病室を訪ねた。患者さんの心の変化とは別に、その容態は悪化しているようだった。
 最初の病床訪問から8日後にも顔を見に出かけた。患者さんの傍らに立った時、その変わりように一瞬、言葉を失いかけた。次回はないかもしれない・・・。
 「今日はいっしょに賛美歌を歌いませんか」と誘い、多くの人にも知られている「いつくしみ深き」を歌った。その歌詞に改めて涙ぐむほどの感動を覚えた。いっしょにいた看護師さんたちも歌ってくれた。この時、病室には神様の愛が満ちていた。
 翌日、知らせが届いてしまった。まだ30代なのに・・・。辛い1日となった。
 私が会えたのはたった3回。でも本当に会えてよかった。神様はあの患者さんのために素晴らしいことをして下さった。
 やがて天国であの方と再会できるということを私は楽しみにしている。私はこの希望に慰められている。
 ある日、思いがけない手紙が届いた。差出人はあの病棟の看護師さん。医療者にはできない末期の患者さんとの関わり方と、その患者さんにみられた麗しい変化に感銘を受けたからという内容だった。恐縮するばかりだった。
 神様が出会いを用意した。そして一人の痛みの中にいる人と家族を笑顔に変えた。すべて神様の愛による出来事である。

〔2016.7/ほっとひと息・第106号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

『涙、そして笑顔』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 5>


 「末期の状態にある30代の患者さんにお会いしたい・・・」、その切なる祈りは応えられ、病床訪問の道は開かれた。
 予定した面会の日を迎えた。仲立ちをしてくれた教会のメンバーでもある看護師とともに病室を訪ね、その扉を開けた。
 患者さんとそのお母さんに加えて、なぜか何人もの看護師さんも待っていた。
 経験したことのない緊張感を抱きながら、心の中では祈りつつベッドに近づき、簡単に自己紹介をし、言葉をかけた。
 「大変だったですね・・・。」
 まもなく不思議なことが起きた。患者さんの目に涙があふれているではないか。わずかな言葉だったが、それは患者さんの心の重荷に触れた言葉となったのだ。
 患者さんの心が開かれたことを私は知った。長年の苦悩とともに背負ってきた心の重荷を降ろして救われたい、その切なる思いが伝わってきた。
 聖書のある箇所を開いて短くお話しをした。神様が私たちを愛して下さっていること、私たちはみな罪人であること、努力によってではなくただ恵みによって救われ、神様の子どもとなって、私たちは天国に行けるようになることをお話しした。
 私は患者さんに尋ねた。
 「イエス様を救い主と信じますか?」
 患者さんは驚くほど素直に応じ、イエス様を信じるお祈りを一緒にした。涙があふれていた顔は、すでに素敵な笑顔に包まれていた。患者さんは救われたのだ。
 病室を出る時、お母さんが私を呼び止め、声をかけてくれた。
 「もう何年もあの子の笑顔を見ていませんでした。今日、笑顔が戻りました。本当にありがとうございました。」と。  

〔2016.5/ほっとひと息・第105号〕

タグ:エッセイ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog
前の10件 | - エッセイ/共に喜び、共に泣いて ブログトップ