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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

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『強者か弱者か』 [コラム Column こらむ!]

 私が以前、難病児である自分の息子のことを中心に講演した時のことです。そこには障がい者の方も来ておりましたが、講演終了後、忘れられない反響がありました。それは全盲の方からのものでした。
 その方はおっしゃいました。「私は盲人であることは弱さだと思ってないですね。」
 私の中では、難病児である息子にはいろいろな弱さがあると受け止めてきたので、それと同じように視覚や聴覚の障がいや歩行障がいなども一つの弱さとして位置づけていました。他と比較した時にどうしても避けられない限界を感じたからです。
 けれども、障がい者に対して「弱さ」という言葉を選んだ時、自分は「強者」の側にいるのだということに思い至りました。
 神様が人を造られました。顔立ち、身長、手足の特徴、頭髪なども含めてです。得意分野と不得意分野があり、文系向きか理系向きかの違い、感性も違います。そして、全盲、ろうあ者、四肢欠損、小人症に巨人症、内部疾患…、列挙するのにも限界があります。皆、神様が造られた一人一人です。
 私は間違っていました。自分を強者だと位置づけたら自分は上に立つ者。障がい者は憐れむべき存在、支援される側です。
 強者も弱者もない、本来的には共に生きる存在、歩調を合わせて生きていくべき存在なのです。神様は私たち人間が共に生きることを願っています。お互いの特徴を理解し、違いを受け入れ、お互いの欠けを補い合うことが大切だと思います。

〔2017.09/ほっとひと息・第111号〕

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『憲法を眺めて思う』 [コラム Column こらむ!]

 日本国憲法が話題になっています。そこにはとても麗しいことが書かれています。
 【第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。】
 人権は、国や権力者が私たちに与えるという恩恵ではないのです。生まれた時から、誰にでも区別なく保障されているものです。国の都合で制限されることのない「侵すことのできない永久の権利」です。
 【第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対 する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。】
 私たちは個人として尊重されるのです。国のために私たちが存在しているのではなく、私たちのために国があるのです。一人一人がかけがえのない命を持つ個人、あらゆる違いを超えて尊重されるのです。
 何を考え、何を語ることも保障され、何を信仰しあるいは何も信仰しないことも自由であり、学び、生活が保障されているのです。
 こうして、日本国憲法の基本的人権を眺めてみると、聖書の中にある人間理解が重なります。神様は私たち個人をかけがえのない尊い存在として造り、愛して下さいます。その個人のために神様はすべてのものを備えて祝福してくださいます。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

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『急がば回れ』 [コラム Column こらむ!]

 他人のことをとやかく言えない身であることを承知した上でのことですが、私たちは「楽」をしたいと思っているでしょう。苦しいより楽しい、遅いより早い、遠いより近い、長いより短い、面倒くさいことより簡単を選びたいのです。
 実際、心の中で「ああ面倒くさい」と連発してしまう自分に気づきます。時間のかかる道を選ばず、少しでも早く着く道を選ぼうとしています。ネットショッピングをしながら「楽だなあ」とつぶやいています。
 ただ、弊害が出てきているような気がしてなりません。そして「急がば回れ」ということわざが胸に響いてきます。「楽」をしても良いことは多々ありますが、「面倒」を選ぶべきこともあるだろうと思います。
 スマホで子育て支援ができると話題になりました。「楽」になるでしょうが、幼い子どもが親の顔や目を正面から見なくなる、親の言葉を聞く機会が少なくなるでしょう。子育てに面倒はつきもの、時間のかかるもの、でも苦労のしがいがあるものです。
 タブレットを小学生に持たせて授業をする話に戸惑いました。先生の表情より端末の画面、字を書いたり消したりの苦労をしないでタッチパネルでの操作。「楽」だし「楽しそう」です。面倒くさい勉強が楽になるでしょうが、10年後20年後に実験結果が明らかになるでしょう。
 ほんの一例ですが、「面倒」でもそれを選択した方が良い分野を残したい…。「若い時の苦労は買ってでもせよ」の気持ちです。

〔2017.03/ほっとひと息・第109号〕

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『自分の言葉は大丈夫か』 [コラム Column こらむ!]

 最近、自分に問いかけたことがあります。果たして「自分の言葉は大丈夫か…」と。
 米国の大統領選挙で一人の候補者は、敵を作っては攻撃し、聴衆もそれに同調していきました。「自分たちが日頃思っていたことを代わりに言ってくれた」からだと…。
 もし遠慮のない発言を言われる側だったら、同じ言葉で反論するかもしれません。
 沖縄でヘリパッド建設に反対する住民と機動隊が衝突する中、機動隊員から差別発言が飛び出しました。戦時中も戦後も集中的に苦しめられてきた沖縄の歴史を思ったら、あの見下した発言は許されません。
 しかし、沖縄の方々があの発言に苛立っている程に、いわゆる本土にいる私はあの発言を問題視していただろうか…。
 インターネット上で飛び交う言葉は時に辛辣です。攻撃対象が見つかると我先にと厳しい言葉が書き込まれていきます。その言葉はだいたい感情的で、威圧的でもあります。匿名的な世界だからかもしれませんが、制御が働かないように見えます。
 我慢ならないと思うニュースを知った時、テレビの前で、新聞を開く手をそのままに暴言のような言葉を小声で吐く自分がいます。誰も聞いていないという前提で…。
 その時に思い起こした言葉があります。「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29)私の口にも見張りが必要だと気づかされます。

〔2016.12/ほっとひと息・第108号〕

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『あの日を忘れてはいけない』 [コラム Column こらむ!]

 東日本大震災の被災地を訪ねてきました。訪問先は宮城県の南三陸町と石巻市。
 私はイザヤ58ネットという被災地支援をするネットワークに加わり、後方で活動をサポートしてきましたが、念願の被災地訪問がようやく実現しました。そしてたくさんの驚きをもって帰ってきました。
 南三陸町は大きく変わっていました。盛り土がされて造られた新しい道路があちこちにありました。ある種不自然な風景ばかり。海が見えにくい風景をその土地の人々は複雑な思いで眺めていました。
 大勢の子どもたちの命が失われた大川小学校を見てきました。瓦礫となった校舎があの瞬間を語っています。絶句でした。時計の針が少しも進んでいないようです。
 仮設住宅で暮らす人の数は確かに減っていましたが、訪ねた仮設の集会所で数名の婦人たちが私たちの到着を今か今かと待っていてくれました。まるで息子が帰ってきたかのような歓迎ぶり…。何度も何度も同じ所を訪ねてきたことが、このような信頼関係を築ける結果を生んだのです。支援する者と支援される者という関係ではなく、それはありふれた楽しい交流でした。
 家族を津波で失った方と出会いました。高齢の方でしたが、震災の語り部を自主的にされていました。一つ一つの詳しい説明と写真に私たちの心は震える思いでしたが、どうしても伝えなくてはと思う心の強さに圧倒されるひとときでした。あの日を忘れないこと…、これは大切な支援です。

〔2016.10/ほっとひと息・第107号〕

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『メンツより大事なこと』 [コラム Column こらむ!]

 最近思い起こしていることがあります。それは私たちはどうしてもメンツにこだわった生き方をしてしまうという現実があることです。
 随分前の事ですが、ある患者団体の役員をしていた時のことです。長い年月をかけて活動を積み重ね、患者とその家族にとって希望となる薬がもうすぐ私たちの手元にも届くかもしれないという頃、同じ薬のために別な団体が動き出し、私たちよりも精力的にいろいろな方法を駆使して製薬会社や厚生労働省に働きかけをするようになったのです。まるで横取りするようなその振る舞いに危機感を抱いた役員たちは、苛立ちを隠せず、何とかして抵抗しようとしたことがありました。
 その時に思ったことは、なぜ自分たちは苛立ち、抵抗しようとしているのかということです。そこには手柄を持っていかれるかもしれないというメンツへのこだわりがあったのです。患者とその家族にとって希望となるその薬が一日も早く国に認められて使用できるようになることを目標に活動してきたのに、いつのまにかメンツの方が大事になっていたのです。
 目指してきたゴールを確認し、手柄を手にすることへのこだわりを捨て、その別な団体の動きを気にしないようにしました。結果、薬は認められそれを喜びました。
 メンツより大事なことがあることに気づくかどうか、これも自我との闘いでしょうか…。謙遜になれば生き方が変わります。

〔2016.7/ほっとひと息・第106号〕

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『教会カフェという居場所』 [コラム Column こらむ!]

 教会カフェを始めて3年が経ちました。特別なコーヒーやデザートを出せるわけでもなく、おしゃれな雰囲気のあるカフェというわけでもなく、“普通”の感じでしかないのですが(BGMは流しています)、続けて来ることができました。
 教会の集まりとしては、カフェは珍しい活動です。賛美歌は歌わない、お祈りもしない、献金の籠も回ってこない、聖書の話を聞かされることもない。求められればしますが…。とても自由な集まりです。その上、いつ来て、いつ帰っても良いのです。
 本を読まれる方もあり、ゲームをしている方もおられます。お子様連れの方は子どもを自由に遊ばせています。一応、おもちゃもありますから(大人用もあります)。
 教会カフェに来られる方は、何を期待して来られるのでしょう。わかっていることの一つは“おしゃべり”です。訪れた方同士でのおしゃべりもありますが、多くの場合、マスター(牧師)に声をかけ会話を楽しんでいます。カフェの時は、日頃の教会の雰囲気と比べたらまったく別なものでしょうから、肩の力が抜けて、みなさんお話ししています。小さな子どもたちから一緒に遊ぶことを期待されることもあります。
 こういう時間や空間の提供が人のニーズにあっているのかもしれません。この教会カフェはおそらく、“もう一つの居場所”になってきたのでしょう。“たまり場”かもしれません。この教会カフェ、私にとっても心地よい気楽で楽しいひと時です。

〔2016.5/ほっとひと息・第105号〕

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『葬儀で得るもの』 [コラム Column こらむ!]

 葬儀に参列した時、私は幸いを思うことがあります。もちろん、悲しみの場に居合わせるのですから、幸いだなどど言ったら不謹慎なことですが、そこでなければ得られないものがあるからです。
 聖書には次のような言葉があります。
 「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」
 人の葬りに関わる時、そのまま自分の死を考えることとなるのです。絶対に他人事にはなり得ない自分の死について思い巡らすことは、やがて大きな意味を持つことになると思うからです。自分はその日を迎えるための備えは出来ているのか、と。
 この数年、何度も葬儀に参列していますが、遺族の方々を思い、いつも涙します。親しい者との別れは、残された者には大きな穴が開いたに等しい出来事ですから。
 そのような中で、私は自分の家族や自分自身の死をも思い巡らしています。いつ来るのか、どのように来るのか、ずっと先のことだなどと言えるのか・・・。
 キリスト教葬儀では、賛美歌を歌い、お祈りも捧げますが、遺族の方々をはじめ全ての参列者に向けて聖書からのメッセージが語られます。亡くなられた方の歩みを振り返って偲び、その悼みを共有するのですが、聖書が約束している希望に耳を傾ける時となります。ここに慰めがあり、心のいやしがあり、幸いがあります。

〔2016.3/ほっとひと息・第104号〕

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『小さな社会貢献』 [コラム Column こらむ!]

 教会では社会貢献となる活動を継続して行っています。大きくは二つあります。
 一つは「世界食料デー」(10月16日)への募金協力です。これは世界の食料問題を考え行動する日として国連が定めたものです。世界の飢餓の現実に目を向ける良い機会となっています。飢餓は私たち先進国の生活と無関係ではありません。毎年9月~11月にかけて募金を行っています。このために小銭を1年間ずっと貯めている人もいます。募金は飢餓に苦しむ人たちの支援に役立てられます。
 もう一つはリサイクル活動です。収集しているものは3種類。使用済み切手、ペットボトルキャップ、缶のリングプルです。使用済み切手は一番長く続けています。
 この「使用済み切手」(古切手ではなく消印が押された切手)はアジアの医療協力に役立てられますが、使用済みの切手がどうして役立つのか疑問を持たれることがしばしばあります。この活動には切手愛好家の存在が欠かせません。集められ整理された使用済み切手を大量に入れた箱をその切手愛好家が購入し、換金されるのです。日本キリスト教海外医療協力会がその活動をしているので、教会に集まった使用済み切手はそちらに送っています。
 電子メールが普及し使用済み切手は集まりにくくなりましたが、この活動を知って近隣の方々がそっと届けて下さいます。
 小さくとも志を同じにして社会貢献に参加できることは幸いなことです。

〔2015.12/ほっとひと息・第103号〕

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『お節介をもう一度』 [コラム Column こらむ!]

 大阪で二人の中学生に訪れた悲劇的な事件に衝撃を受けました。私たちにできることが何かあるのではないかと考えていた時、ふと思い出したことがありました。
 ある日の午後、教会の玄関が勢いよく開きました。行ってみると数人の小学生の男の子たちがランドセルを背負ったまま立っていました。一人の子が言いました。
 「友だちが転んで足を怪我したので、見てもらえますか?」
 少しばかりの出血がある擦り傷でした。傷口を洗って手当し、簡単な処置をしてあげました。小さな救急箱が役立ちました。
 小雨の降る日の午後、ドアを叩く小さな音に気が付きました。不思議に思って玄関を行くと、下校途中の小学生の女の子が二人、ドアの外に立っていました。
 「トイレを貸してもらえますか!?」
 女の子はほっとした顔つきで教会のトイレに急ぎました。
 これは子どもが大人を頼ってくれた小さなケースですが、大人が地域の子どもたちの世話をやくことが必要なのではないかと思います。そうして生まれた双方向の関わりが意味を持つようになると思うのです。
 「お節介」という言葉は余り聞かれなくなりましたが、顔見知りか否かに関わらず、お節介な大人になるよう心がけたいと思いました。今の時代、見知らぬ人からの声かけは不審者扱いされかねませんが、大人が勇気を持たないといけないのかもしれません。お節介に取り組んでみたいです!

〔2015.9/ほっとひと息・第102号〕

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