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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

今週の礼拝(恵みの扉) ブログトップ
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2017年 4月 16日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『なぜ泣いているのですか』 ※イースター礼拝


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 20:11-18/新約聖書
20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

 イースターおめでとうございます!この喜びが皆様の上に豊かにありますようにお祈りいたします。
 イエス様が十字架で死んで3日目の日曜日の朝、マグダラのマリヤはイエス様の墓に来ていました。そこはマリヤにとって悲しみの場所、そしてかすかに生前のイエス様に近づける場所でした。
 マリヤの悲しみは深いものでした。復活されたイエス様から「なぜ泣いているのですか」と呼びかけられても気づかないほどでした。希望も持てなくなった今、人の声は十分に聞こえず、心にも届かないのです。
 しかしこの時、マリヤは聞いたのです。自分の名を呼ぶ優しい愛に満ちた声を。「マリヤ」、この呼びかけは彼女を悲しみから立ち直らせることとなりました。マリヤは復活のイエス様に出会うことができたのです。
 イエス様は生きておられます。ここに希望があるのです。悲しみが喜びに変えられる、それはこの復活のイエス様との出会いによってです。

☆★☆ 次週 2017年 4月 23日(日)の予定 ☆★☆
『神の御心に添った悲しみ』  
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 7:5-16/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 9日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『完了した』※キリストの受難週


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 19:17-30/新約聖書
19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

 罪のないイエス様はまるで犯罪人のように扱われて十字架にかけられ死なれました。このイエス様の十字架の死にはどのような意味があったのでしょうか。
 一つのことが「終わった」時でした。もはや手段を選ばないユダヤ人たちの嫉妬心はこの時、イエス様の死をもって終わったのです。
 しかしこの時、イエス様は大切なことを「達成した」のです。最初の人間が罪を犯したその罪の歴史の初めから神様が計画された罪人を救うという神様の愛の御心の達成です。イエス様が私たち罪人の身代わりとして罪がさばかれたのです。それは聖書の預言の成就でした。
 そして全てが「完了した」のです。私たちの罪は赦され、罪から解放され、神の義をいただきました。すなわち永遠のいのちが与えられ、新しい人となり、私たちは今まさに神の子どもです。贖いの完成です。

☆★☆ 次週 2017年 4月 16日(日)の予定 ☆★☆
  『なぜ泣いているのですか』 ※イースター礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 20:11-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 2日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『この人には罪を認めません』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:28-40、19:1-16/新約聖書
19:6 ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

 イエス様はユダヤ人の指導者たちによる裁判を経て、ローマ側による裁判を受けることになりました。
 総督ピラトにイエス様の命は預けられることになりました。ピラトは最初、ユダヤ人指導者に差し戻そうとしましたがそれは叶(かな)わず、次には釈放しようとしたり、むち打ちによって人々を納得させようとしました。ピラトには「この人には罪は認められない」という答えは出ていたのです。
 イエス様こそ私たち罪人のための救い主、この方こそ真理そのものであるにもかかわらず、人々は真理から遠ざかっていきました。ピラトは大多数の意見に乗ったり、自分の利益を優先しました。ユダヤ人指導者たちは目的達成のためなら手段を選ばず、また自分から罪の中に留まる道を選んでいきました。
 しかし、このようにして罪のないイエス様がまるで罪人、犯罪人のように扱われて十字架へと向かわれました。これはまさにピラト、ユダヤ人指導者、そして私たちすべての身代わりとなるためだったのです。

☆★☆ 次週 2017年 4月 9日(日)の予定 ☆★☆
  『完了した』 ※キリストの受難週
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 19:17-30/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 3月 26日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『それはわたしです』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:1-14/新約聖書
18:4-5 イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか」と彼らに言われた。彼らは、「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです」と言われた。

 イエス様を逮捕する準備を整えた人々は数百人規模に及んでいたと思われます。そこにはイエス様の弟子の一人イスカリオテ・ユダもいました。悪の手は夜に動きました。
 この時、自分に向かってきた人々に向かってイエス様の方から声をかけました。「『だれを捜すのか』と彼らに言われた。彼らは、『ナザレ人イエスを』と答えた。イエスは彼らに『それはわたしです』と言われた。」
 「それはわたしです」というイエス様の言葉は「わたしこそ神である」という宣言そのものでした。イエス様の言葉にある力と権威を前にして人々は後ずさりし、倒れてしまったと記されています。
 イエス様はご自分を神と宣言する中で、逮捕の対象は自分一人であり、そばにいた弟子たちは関係ないとして弟子たちを守られたのです。
 弟子のペテロは混乱し剣を抜きましたが、イエス様に止められました。神の御心に委ねるべきことを悟らせるためであったでしょう。人間的な力で問題解決を図るのを止めさせたのです。主の御手に委ねよ、と。

☆★☆ 次週 2017年 4月 2日(日)の予定 ☆★☆
  『この人には罪を認めません』
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:28-40、19:1-16/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 3月 19日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『ろばに乗った救い主』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 12:12-18/新約聖書
12:14-15 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」

 いったいどの位の群衆がイエス様を出迎えたのでしょうか。イエス様についてきた群衆と都エルサレムで待ち受ける群衆。イエス様の最後のエルサレム入城はまさに歓喜の渦の中でした。「万歳!」さながら「ホサナ」と人々は叫んだのです。
 イエス様はろばに乗られました。しかもそれは子ろばでした。見栄えのしないものだったかもしれません。軍馬にまたがった方が勇ましいことでしょう。しかし、平和の君として来られたイエス様は平和を表わすろばに乗られました。ここにイエス様がこの地に来られた意味がありました。
 人々はこの時、誤解していました。今こそイエス様は自分たちユダヤ民族をかつての栄光ある姿に回復させてくれる政治的な王様と確信したのです。自分たちの期待をイエス様に重ねて熱狂し、出迎えたのです。これは信仰とは言えません。聖書の言葉に耳を傾けて従うのではなく、自分の願望を第一にしてイエス様に期待するだけだからです。私たちは御言葉に耳を傾け、救い主としてを心に迎えたいものです。

☆★☆ 次週 2017年 3月 26日(日)の予定 ☆★☆
  『それはわたしです』
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:1-14/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 3月 12日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『心を開いて』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第2 6:11-7:4/新約聖書
7:2 私たちに対して心を開いてください。

 「私たちに対して心を開いてください。」とパウロは言いました。いろいろと厳しいことを言わなければならなかったコリント教会の人々との信頼関係を深めたい気持ちがここに見られます。それは父親から子どもへの語りかけにも似ています。
 「心を開いてください」と言う中で、パウロ自身が「私たちの心は広く開かれています」と言いました。自分自身が心を開くことなくして人にそれを求めることはできないでしょう。
 自分の方から心を開くことは、相手への信頼の証しです。「あなたがたは、私たちとともに死に、ともに生きるために、私たちの心のうちにあるのです。私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています」と。パウロの目には彼らとの強い絆が見えているのでしょう。常に流れているもの、それは愛です。

☆★☆ 次週 2017年 3月 19日(日)の予定 ☆★☆
  『ろばに乗った救い主』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 12:12-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 3月 5日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『何も持たないようであっても』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第2 6:1-10/新約聖書
6:10 (私たちは・・・)、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

 「神の恵みをむだに受けないように」と言われています。いろいろな外からの影響や経験するさまざまな出来事により信仰がかき乱されることがあるかもしれません。しかし私たちは、神の恵みによって今の自分があることを忘れてはなりません。
 「あらゆることにおいて自分を神のしもべとして推薦している」と言われています。そのあらゆることとは、忍耐、悩み、悲しみ、嘆き・・・、私たちが歓迎しないもの、避けていきたいものばかりです。けれども、パウロはそれらの経験したことをすべて活かす生き方をしているのです。困難もひとつのチャンスとして受け止めていたのです。
 信仰を持って生きる、神の恵みを受けて生きることを見つめ直したいとと思います。それは世の価値観とは違うもの、むしろそれを乗り越えているのです。「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、・・・何も持たないようであっても、すべてのものを持っています」と。神の恵みを受けて生きる者、イエス様を信じて生きる者の豊かな姿が現れています。

☆★☆ 次週 2017年 3月 12日(日)の予定 ☆★☆
  『心を開いて』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第2 6:11-7:4/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 2月 26日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『和解のことば』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第2 5:16-21/新約聖書
5:18 神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

 イエス様を信じた時、私たちは新しい人に造り変えられました。何というすばらしい恵みでしょうか。自分中心ではなくイエス様中心に生きる者へと変えられたのです。見え方も、聞き方も、受け止め方も、信仰によって一新されたのです。
 そのように変えられた私たちには大切な務めが与えられています。それは和解の務めです。罪人の私たちは、かつては神様の言うことを聞かない、まるで敵のような存在でした。しかし今は、イエス様によって神様と和解し、神様と共に歩むことのできる者とされています。このことを一人でも多くの人に分かち合うことが私たちに委ねられています。
 今や私たちは、和解のことばを持ってこの地で生きるキリストの使節、神の国の大使です。イエス様に代わって和解のことばを語り、救いの道を示し、信仰の道を教えるのです。そのために他の人より先に信仰に招かれ、今この地に派遣されているのです。イエス様によって与えられた計り知れない愛のみわざはどうしても人々に伝えなければなりません。

☆★☆ 次週 2017年 3月 5日(日)の予定 ☆★☆
  『何も持たないようであっても』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第2 6:1-10/新約聖書
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2017年 2月 19日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『自分を取り囲んでいる愛』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第2 5:11-15/新約聖書
5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。

 人の行動力や情熱に驚かされることがあります。その人の中には何らかの理由があるものです。
 パウロは福音のために、教会のために、その行動力においても情熱においても他に類を見ない程でした。なぜでしょうか。パウロは神様を恐れる人だったからです。自分のことを全て知っている神様、愛し味方となって支えて下さる神様に喜ばれる者でありたいと願っていたのです。
 その行動力や情熱は誤解され、パウロは気が狂っていると批判されることもあったようです。しかし、すべて神様への熱心から来るものでした。そして一人でも多くの人々が福音を知り、救われてほしかったのです。
 パウロはただ一つ、自分の中に明確な動機があることを教えています。「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるから」だと。イエス様が自分の罪のために十字架にかかって死んで下さったからです。このイエス様によって自分も新しい人に造り変えられたのです。今、自分はこのイエス様の愛に囲まれている、これがパウロの原動力となっているのです。

☆★☆ 次週 2017年 2月 26日(日)の予定 ☆★☆
  『和解のことば』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第2 5:16-21/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 2月 12日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『永遠の住まい』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第2 5:1—10/新約聖書
5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。

 死に対する複雑な思いや意識を私たちはだれでも持っていますが、死後についての確信を持っている人は多くないでしょう。とても関心の高いことなのですが・・・。
 聖書は、私たちの体を地上の幕屋(一時的な仮住まい)と言い、そこには肉体の弱さのことが含まれています。病があり、人生において様々な風雨にさらされ、長い年月の中で老朽化は避けられません。
 しかし、やがて仮住まいではなく神様が私たちに建物を下さいます。それはいつまでも続くもの、永遠の住まい、新しい復活の体です。私たちは後の日に受け取るこの恵みを待ち望んでいるのです。
 だからと言ってさっさと人生を終えて天国へと早まってはいけません。信仰によって死後の確信を持てば、不安なく、死への恐れもなく過ごせるでしょう。どこにいても私たちは神様に喜ばれる日々を過ごすことが大切です。神様が約束されたものは確かに受け取るものだからです。

☆★☆ 次週 2017年 2月 19日(日)の予定 ☆★☆
  『自分を取り囲んでいる愛』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第2 5:11-15/新約聖書
タグ:聖書のお話
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