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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

今週の礼拝(恵みの扉) ブログトップ
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2018年 6月 17日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『ひとりではない喜び』 ※特別礼拝


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 11:17-26/新約聖書
ヨハネの福音書 11:34—36 「彼をどこに置きましたか。」 彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」 イエスは涙を流された。そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」

 人の悲しみに寄り添う…、わかっていても、なかなか思ったようにはできないことではないでしょうか。
 マルタとマリヤの姉妹とその兄弟ラザロの3人暮しの家族がありました。ある日、ラザロが病気になりました。マルタたちはイエス様にラザロのことを伝えましたが、イエス様は間に合いませんでした。この家族に悲しみが訪れたのです。この家族にとってラザロの死は激しい痛みとなりました。
 ラザロの死から四日目、イエス様はマルタたちのところにやってきました。彼女たちの涙、周囲の人たちの涙を見、「イエスは涙を流された」ました。ラザロを愛し、この家族を愛するイエス様は、この時、共に涙を流されたのです。悲しみを理解し、寄り添い、その場に来て下さるのです。
 イエス様の愛は私たちが悲しんでいる時にも注がれています。イエス様は、多くの言葉で励ますよりも、悲しみの場に来て下さるお方です。涙を流す者の横に来て、共に涙を流して下さるお方なのです。私たちをひとりにしないよと語りかけて、深い愛を注いで下さるのです。
 
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☆★☆ 次週 2018年 6月 24日(日)の予定 ☆★☆
 『いつまでも続く喜び』 ※特別礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 4:3-15/新約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
タグ:聖書のお話
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2018年 6月 10日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『赦されて生きる喜び』 ※特別礼拝


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ルカの福音書 7:36-50/新約聖書
7:50 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 私たちは人のことをついつい裁いてしまうところがあります。しかも自分のことは棚に上げて…。
 パリサイ人シモンがイエス様を家に招きました。そこに罪深い女性がイエス様に会うためにやってきました。シモンにとってこの女性は罪深く、近づきたくない存在でした。彼にとって彼女の過去が問題であり、その過去を見て裁き、見下していたのです。私たちに同じ傾向はないでしょうか。
 イエス様は彼女の過去を知っていました。同時に彼女が現在、罪を悔い改めたことも知っていました。イエス様にとって彼女は、罪深い女性ではなく罪赦された女性なのです。罪を悔い改めた者を受け入れるイエス様の愛がここに溢れています。彼女はその愛に応えて行動をしたのです。
 私たちの住む社会は時に優しく、時に冷たい所があります。暗い過去が知られた時に偏見が生まれ、周囲の態度が変わることは珍しくないでしょう。けれどもイエス様の愛は私たちの過去を含めて全てを包み、私たちを愛し、赦し、受け入れて下さいます。ここに喜びがあるのです。

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☆★☆ 次週 2018年 6月 17日(日)の予定 ☆★☆
 『ひとりではない喜び』 ※特別礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 11:17-26/新約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
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2018年 6月 3日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『愛されて生きる喜び』 ※特別礼拝


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 21:15-17/新約聖書
ローマ人への手紙 8:38-39/
死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 「喜び」とはいったいどこから来るのでしょうか。何をしたら手に入られるものなのでしょうか?
 ペテロという人物がいます。彼はイエス様の一番弟子と言われる存在でした。イエス様からの信頼もあり、大事な時にはイエス様は必ず彼を同行させていました。とても熱心で、自信満々なところがありました。
 自信にあふれている人ほど挫折すると大きな痛みを味わうだろうと思いますが、ペテロはまさにそのような経験をしました。彼はイエス様のためだったら命を懸けてもいいと思う熱心を持っていましたが、イエス様が十字架に向かう中での裁判中に、身の危険を感じてイエス様など知らないと言ったのです。自信は彼の役に立たず、人生の躓きを経験しました。
 自分がどれだけダメな人間か、心が痛む経験をしました。もう二度とイエス様の前に顔は出せないと…。しかし、イエス様は失敗したペテロを見捨てることなく、むしろ「あなたが必要だ」と語りかけて下さいました。イエス様は私たちをあきらめないお方です。その愛には限界はありません。

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☆★☆ 次週 2018年 6月 10日(日)の予定 ☆★☆
 『赦されて生きる喜び』 ※特別礼拝
  <聖書の言葉>ルカの福音書 7:36-50/新約聖書

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2018年 5月 27日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『神の強さを知る』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 7:14-25/旧約聖書
コリント人への手紙第二 4:6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。

 自分を守るために正しいふりをする人がいる一方で、自分を守るために正しい道を生きる人がいます。
 エジプトの王パロはいよいよまことの神様と対決することになりました。神様による災いがエジプトを襲い始めたのです。ナイル川が血に変わったことは人々の命に関わる重大事件でした。エジプト人は苦しみましたが、王はメンツにこだわり続け、自分の立場を守ることに終始したのです。
 しかし、王もよほど困ったのでしょう。「主に祈ってくれ」とモーセにすがりつきました(8:8)。まことの神様の前に敗北を認め、自分の愚かさを悔い改めるようになったのか…。それは困った時の見せかけの姿でした。まるで相手を油断させるような巧妙なふるまいだったのです(8:15)。
 エジプト中が暗闇に閉じ込められる災いが起きました。けれども、イスラエル人の住む所には光がありました(10:21—23)。まことの神を畏れることなく身勝手にふるまう者の居場所は暗闇であり、神を信じ、神と共に歩む者には光があるのです。神様が私たちを照らして下さるからです。

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☆★☆ 次週 2018年 6月 3日(日)の予定 ☆★☆
 『愛されて生きる喜び』 ※特別礼拝
  <聖書の言葉>ヨハネの福音書 21:15-17/新約聖書

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2018年 5月 20日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『聖霊が示す道』※ペンテコステ礼拝


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 使徒の働き 16:6-10/新約聖書
使徒の働き 16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

 イエス様の復活から50日目、ペンテコステの日を迎えました。私たちに聖霊が注がれた記念日です。
 聖霊なる神様は私たちを歩むべき道に導いて下さる導き手です。
 パウロたちが福音の宣教のために行こうと計画していた地方がありました。しかし「聖霊によって禁じられた」というのです。この時パウロたちは、今の私たちが行くべき神の御心の地ではないと受け留めました。
 ところが、行くべき地があることをパウロは幻によって知りました。閉ざされる道がある時、もう一方に開かれた道がある…。アジヤからヨーロッパへという新しい宣教の展開でした。聖霊が示す道があるのです。
 パウロが見た幻でしたが、皆がこれに同行していきます。一つ心になって進むことができました。聖霊が彼らに一致の心を与えて下さいました。一人一人が自分の生きたいように生きるのではなく、神様に従いたい、神様の御心の道を歩みたいという確かな信仰がそこにあったのです。その信仰こそ、聖霊が示す道を知るために必要な備えなのです。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 27日(日)の予定 ☆★☆
 『神の強さを知る』 
  <聖書の言葉>出エジプト記 7:14-25/旧約聖書

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2018年 5月 13日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『もう一度立ち上がる』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> 出エジプト記 7:1-13/旧約聖書
7:5 わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。

 リーダーであるモーセは目の前の状況に流され、見える結果を求め過ぎてすっかり弱ってしまいました。
 神様はモーセを励ましました。その信仰が弱まっても神様は彼を選び遣わされるのです。そして、言われました。「わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。」と。神の権威がモーセに授けられたのです。パロ王が相手にするのは神様なのです。
 パロ王の求めによりアロンの杖が蛇になるという奇蹟が行われました。しかしそれは、王の心を神様に向けさせるよりも奇蹟そのものへと集中させました。奇蹟は人を驚かせますが、必ずしも神様に心を開くことになるわけではないのです。神様の御言葉にこそ耳を傾けるべきです。
 パロ王たちが知らなければならないのは神様ご自身とその御心です。「エジプトはわたしが主であることを知るようになる」と。かたくなな心のためにエジプトは大変な経験をすることになりますが、神様の前に心へりくだって歩む者は神様の祝福と恵みをいただくことができるのです。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 20日(日)の予定 ☆★☆
 『聖霊が示す道』 ※ペンテコステ礼拝
  <聖書の言葉> 使徒の働き 16:6-10/新約聖書

【注】聖書はすべて「聖書新改訳[コピーライト]2003新日本聖書刊行会」からの引用です。
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2018年 5月 6日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『勇気を失っても』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 6:9-13/旧約聖書
詩篇119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。

 モーセについて、強い信仰、勇敢なリーダーのイメージがあるでしょうが、実はそうでもなさそうなのです。
 モーセを苦しめたものがありました。それは人々との不調和です。再び神様の言葉を伝えましたが、人々の落胆は予想を超え、厳しい労働は信仰をも奪いました。「もう何も聞きたくない」、そこには失望があったのです。人々の否定的な反応という環境にモーセ自身も左右されていきました。
 モーセは勇気を失いました。神様からパロ王の前に立てと言われても勇気が出ません。結果が出ない時のリーダーの苦悩がここにあります。自分の言葉の力不足に恐れを抱き、悪いイメージしか出て来ないのです。実は、ここに、モーセ自身が何に頼っていたのか明らかになっています。
 神様がこのようなモーセに語った言葉は、人々やパロ王に対して語るべき言葉でした。モーセが今、心を向けるべき場所、それは神様の御言葉なのです。環境に流されて迷子になってはなりません。出すべき結果に集中するのではなく、従うべき神様に集中することなのです。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 13日(日)の予定 ☆★☆
 『もう一度立ち上がる』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 7:1-13/旧約聖書

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2018年 4月 29日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『頼るべき方』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 6:1-8/旧約聖書
6:1 それで主はモーセに仰せられた。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。」

 仲間に理解されず40年前と同じくモーセは孤立しました。しかし、今回モーセは神様に祈りました。
 神様はモーセの祈りに答えて下さいました。この祈りには一つ特徴があります。それは「わたし」が14回も繰り返されていることです。奴隷の苦しみと嘆きの中にいるイスラエル人をエジプトから救い出すのは「わたし」であると、神様自らがこれを行うのだと語っておられるのです。
 神様は言われました。「わたしの契約を思い起こした」と。イスラエル人たちを再び約束の地カナンへと連れて行くのは元々、神様の契約なのです。「わたし」は忘れてなどいない、覚えている、ずっと覚え続けているのだと、神様はモーセに、そしてイスラエル人に語りかけています。
 神様はこうしてモーセやイスラエル人に語りかけました。そこには、神様の言葉に信頼するようにという意図があります。神様は、力強いみわざを見せてその全能の力を印象付けることはなさいません。神様の言葉を聞くように、神様の言葉を信頼するように、それが最も重要なことなのです。
http://twitsound.jp/musics/tsiGqkf9X>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 5月 6日(日)の予定 ☆★☆
 『勇気を失っても』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 6:9-13/旧約聖書

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2018年 4月 22日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『人が弱り始めるとき』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 5:10-23/旧約聖書
5:22 それでモーセは主のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。

 仲間と一つ心になって目の前に立ちはだかる大きな壁、エジプトの王パロに立ち向かったモーセたちでしたが、早くも躓いてしまいました。自分たちの労働がさらに苦しいものになった時、仲間はその原因はモーセにあるとして非難したのです。神様からの良いニュースは消え、悪いニュースだけが心を支配されたのです。
 人が弱り始めるとき、それは孤立した時でしょう。モーセは神様の御心を求めていますが、仲間はとにかく目の前の現実が良くなることだけを願いました。心が二つに分れてしまいました。モーセはまた孤立したのです。
 40年前にも仲間に理解されずに孤立したことがありましたが、その時のモーセはその場から逃げました。似たような状況を前にして、今回は「主のもとに戻り」ました。モーセは祈ったのです。現実の課題を神様に訴えました。モーセは本当に神様を信じ、信頼していました。状況を変えられるのは神様しかいないことを理解していたのです。
http://twitsound.jp/musics/tsdwH25nQ>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 4月 29日(日)の予定 ☆★☆
 『頼るべき方』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> 出エジプト記 6:1-8/旧約聖書

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2018年 4月 15日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『真実なのかウソなのか』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 出エジプト記 5:1-9/旧約聖書
詩篇119:105 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

 信仰を持っていても悩みがあります。神様の言葉は本当に真実なのかと自分に問うことがあるのです。
 モーセはエジプトの王パロの前に出て、神様の言葉を伝えました。しかしパロは「その神を知らない」と言い、それに従う理由などない、それは偽りの言葉だと退けました。信仰がない人にとって神様の言葉は意味のないものなのです。私たちも同じ環境の中に生きています。
 モーセの言葉がきっかけとなり、イスラエル人の労働はさらに苦しいものになってしまいました。神様に従った結果、状況がさらに悪くなる…。これは信仰が揺さぶられる出来事です。神様の言葉は真実なのか、神様に私は愛されていないのではないか、自分は間違っているのか…。
 人に神様の言葉を否定された時、もしその一言で自分が生き方を変えたら、その人を信用したことになります。その一言に自分を合わせるのか、神様の言葉を信頼し続けるのかが問われています。たとえ否定されても私たちは神様の真実な言葉への信頼を手放してはなりません。
http://twitsound.jp/musics/tsaRHsPTJ>※3か月間有効です。

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☆★☆ 次週 2018年 4月 22日(日)の予定 ☆★☆
 『人が弱り始めるとき』
  <聖書の言葉> 出エジプト記 5:10-23/旧約聖書

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