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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

今週の礼拝(恵みの扉) ブログトップ
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2017年 8月 20日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『パウロの期待』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:19-21/新約聖書
12:19 しかし、私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。

 親心に限界がないことを感じさせてくれる言葉がここにあります。パウロの期待は続いています。
 「愛する人たち」と呼びかけています。パウロは愛すれば愛するほど私は愛されなくなるのかと悲しい言葉を口にするほどの経験をしましたが、パウロは彼らを愛し続けています。その目的は「彼らを築き上げるため」です。何とかしてクリスチャンとして整えられてほしいのです。
 そのためにはどうしてもしなければならないことがこのコリント教会にはありました。それは罪の悔改めです。「争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動」があったからです。性的不道徳という罪の問題もありました。罪の認識と悔改め、これは重要なことなのです。
 パウロの期待、それは「彼らを築き上げるため」ことです。それはクリスチャンとして聖められなければ始まらないのです。時代や世の流れに流されず、教会はイエス様によって贖われた者としてふさわしい歩みを、神の子どもとしてふさわしい生き方を求めていくべきなのです。
http://twitsound.jp/musics/tsc4uSDtg

☆★☆ 次週 2017年 8月 27日(日)の予定 ☆★☆
『自分を吟味する』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 13:1-10/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 8月 13日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『平和を選ぶ者へ』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 創世記 26:12-22/新約聖書
ペテロの手紙第一 3:10-11 
いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

 1945年8月15日敗戦の日から72年目の今年。私たちは繰返し平和を求めていきたいと思います。
 アブラハムの息子イサクは平和を選び、平和を求めた人でした。
 イサクが神様の祝福を受けて豊かであったことが周辺の人々の妬みとなり、人々は彼の井戸を埋め、ここから出て行くようにと告げたのです。妬みは人を争いに巻き込み、人の幸せを脅かす力があるのです。
 この時、イサクの前に二つの道がありました。戦う道と平和の道。彼は平和の道を選んでそこを去り、別な井戸を掘りました。井戸を埋められるという嫌がらせが行く先々で続きましたが、彼はそこを離れ、別な井戸を掘りました。道は決して一つではありません。平和の道が必ずあるのです。
 イサクが平和の道を選び続けた時、不思議なことが起きました。彼を追い出した張本人たちが訪ねて来たのです。平和の契約を結びたいと。神様がイサクとともにいて彼を祝福していることを認めたからでした。悪から遠ざかり、平和を選び、平和を求めて生きる者の祝福がここにあります。
http://twitsound.jp/musics/tsmov6AqX

☆★☆ 次週 2017年 8月 20日(日)の予定 ☆★☆
『パウロの期待』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:19-21/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 8月 6日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『示された親心』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:14-18/新約聖書
12:14 私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。

 人のために尽くす人が求めているものは何でしょうか。果たしてそれは御礼の品物なのでしょうか。
 パウロはコリント教会の人たちのために力を尽くしました。働きに対する見返りも一切求めず、受け取りませんでした。その財産もかなり投資したようです。彼は決意していました。自分の財産は彼らのために使い切っても構わない、いや自分自身さえも捧げ尽くしても良いと…。子を思う親心、それがパウロによって示されています。
 しかし、その愛情が思うように伝わらない、それがパウロを悩ませています。誠実の仮面をかぶってお金をだまし取っている、使い込んでいると、根拠のない非難が浴びせられていたのです。親心が通じないのです。
 イエス様は言われました。「受けるよりも与える方が幸いである」。パウロの生き方はこれに倣うものであり、罪人のために愛を貫いたイエス様の愛と重なるものでした。愛が届かなくてもあきらめない、真実の愛はどこまでも与え続けるものなのだと、パウロがその生き方で示しています。
http://twitsound.jp/musics/ts1LnNNRe

☆★☆ 次週 2017年 8月 13日(日)の予定 ☆★☆
『平和を選ぶ者へ』
  <聖書の言葉> 創世記 26:12-22/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 7月 30日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『愚か者になって』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:11-13/新約聖書
12:12 使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間で行われた、しるしと不思議と力あるわざです。

 私たちはどのようなことで苦労するでしょうか。簡単に数えられるものではないでしょう。パウロ自身の苦労も同様ですが、パウロ自身の働きによって生まれた教会との関係における苦労であるために、大変な疲労を伴うものだったことでしょう。
 パウロは自分が愚か者になって語り続けました。自分を誇ることにしたのです。理由がありました。偽教師がコリント教会を惑わしていたからです。ただ残念なことに、教会はパウロのことを進んで推薦して守り、偽教師に対抗しませんでした。ここに大きな問題があったのです。
 しかし、パウロはあきらめませんでした。愛と忍耐とをもって教会のために労し、神様から遣わされた使徒としての姿を語ったのです。福音によって救われ、神の子どもとなり、新しい人生を始めた多くの人たちが教会にいることはそのしるしです。愚か者になって、いわば捨て身で教会の人々への愛をパウロは示し続けたのです。
http://twitsound.jp/musics/ts90E6a3l

☆★☆ 次週 2017年 8月 6日(日)の予定 ☆★☆
『示された親心』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:14-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 7月 23日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『弱さを誇る』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:1-10/新約聖書
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 人は誰しも、自分位しか体験していないかもしれないことがあれば自慢するかもしれません。
 パウロには特別な体験がありました。14年間も語らなかったことで、まるで天国を見てきたような内容です。自慢にならないように、また人々から過大な評価を受けないように、気を付けてとても慎重に話しています。
 パウロは、自分には特別に肉体にとげが与えられていると語ります。それは高慢にならないためのものだと。どのような病気や障害なのかはわかりませんが、彼にとっては人生における壁であり、福音宣教の妨げになるものだったのだろうと思います。しかし、三度祈ってもいやされない…。
 パウロは大切なことを知りました。霊的なことは肉体の状態よりもはるかに重要なのだと。自分の能力などがあればそれに頼ってしまう私たちが、弱さを経験することによって神に頼ることを学ぶのです。神の力に満たされることが私たちの本当の強さです。肉体のとげも、数多く経験している困難で感じる弱さも、それこそ自分が誇るべきものなのだと語るのです。
http://twitsound.jp/musics/ts6mQH4Ru

☆★☆ 次週 2017年 7月 30日(日)の予定 ☆★☆
『愚か者になって』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:11-13/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 7月 16日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『苦しみと誇り』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:22-28/新約聖書
11:29-30 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。

 人が自分のことを真剣に思っているかどうか何によって知れるでしょう。行動がそれを物語るのです。
 自分の利益のために教会で奉仕をする偽教師は教会を迷わせ欺いてきました。教会はそれになかなか気づきません。パウロは彼らの目を覚まさせるために誇るようにして自分のことを明らかにしていきました。
 パウロが自分のことを話す中で言いたかったことは、神のしもべとしての苦しみの経験でしょう。神の福音のために自分を犠牲にし、耐えてきたのです。教会の人たちのためにたくさん心を使い、自分も弱るほどだったのです。これこそ偽教師たちが決してしてこなかったことです。
 神のしもべとして真剣に教会に仕える者なら、真実の愛をもって教会のために奉仕するのなら、苦しみを引き受け、弱さを覚えることもあるのです。偽者にはこの主張はできないし、実際に経験もないでしょう。
 私たちは、人々に対する真実の愛を貫き、神のしもべとして生きるこのパウロの姿を心に刻みたいと思います。
http://twitsound.jp/musics/tsHONKtyT

☆★☆ 次週 2017年 7月 23日(日)の予定 ☆★☆
『弱さを誇る』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:1-10/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 7月 9日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『愛の示し方』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:7-15/新約聖書
11:9 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。・・・ 私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。

 人と違うことをすることはある意味で目立つことです。パウロは教会のために働いても報酬を受け取らなかったようです。これについて人々から批判が起こったようです。
 それには理由がありました。儲かりたいために教会で説教の奉仕をして報酬を受け取る人がいたからです。パウロは彼らと一緒にされたくないと思ったのです。そうすれば酷い人たちの姿が明らかになるからです。
 自分の利益しか考えない人が教会で重要な奉仕をして報酬を得るなんて酷い話はありません。教会はその間違いに気づかなければなりません。教会の人たちを欺く人を見分けるためにも、パウロのこの選択は重要でした。教会の人たちを何とかして守りたかったのです。
 しかし、教会から報酬を受けないことでパウロは教会への愛がないのだと批判されたようです。当然受けるべきものまで受け取らずに自分を犠牲にしたのは、パウロが教会を正しい道に進ませたいからで、愛そのものです。なかなか通じないとしてもパウロの愛はここに溢れているのです。
http://twitsound.jp/musics/ts7vYC2oQ

☆★☆ 次週 2017年 7月 16日(日)の予定 ☆★☆
『苦しみと誇り』 ※ファミリー礼拝 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:22-28/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 7月 2日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『神の熱心をもって』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:1-6/新約聖書
11:2 私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

 人を大切に思うがゆえに熱心になり過ぎることがあるでしょうか。 パウロがコリント教会の人たちに接する姿はまさにそのようなものでした。
 パウロには危機意識がありました。コリント教会の人たちの信仰を歪め、間違った方向に誘う教えが入り込(こ)んでいたからです。それは蛇がエバを欺いて神の言葉から目をそらさせ、罪へと引き込んだのと似ているからです。偽教師たちの上手な話しぶりもそのために役立っていたようです。
 パウロは愚かなことだと認めながら自分を誇ることにしました。それは結婚していく娘を送り出す父親の愛と同じだと語ります。神が私たちを思う熱心と同じような熱心さをパウロは彼らに向けているのです。
 パウロの願い、いいえ神様の願いは、一人の男性に愛を示す花嫁のように私たちがイエス様をまっすぐに愛し、イエス様を第一として生きることなのです。イエス様から目をそらせようとする新しい教えや考え方に迷わされたり、魅力を感じたりすることのないように注意を促しているのです。私たちの歩みがいつもイエス様を第一とするものでありますように…
< http://twitsound.jp/musics/tsXcg6eOi >

☆★☆ 次週 2017年 7月 9日(日)の予定 ☆★☆
『愛の示し方』 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:7-15/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 6月 25日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『失敗の人生ではないのです』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 9:1-7/新約聖書
9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。

 生まれつきの盲人を見た弟子たちがイエス様に質問しました。「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」障害の原因、難病の原因、不幸の原因、人はその出来事がなぜ起きたのかということに関心があるようです。私たちにもその傾向があるでしょうか…。
 イエス様はその盲人の目が見えるようになさいましたが、これはいろいろな反響を呼びました。町の人々は驚き、戸惑いました。パリサイ人たちはそのみわざを受け入れず、出口の見えない論争をしています。盲人の両親はパリサイ人たちを恐れ微妙な反応しかできませんでした。
 イエス様は言われました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」と。原因にではなくその目的に目を注いでいます。失敗の人生ではないのです。一見、不幸だと思えるようなことに神のわざは備えられているのです。「世の光」であるイエス様は私たちの闇に光を与える方なのです。

☆★☆ 次週 2017年 7月 2日(日)の予定 ☆★☆
『神の熱心をもって』 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:1-6/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 6月 18日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『こんな私でもいいのですか』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ルカの福音書 7:36-39/新約聖書
7:47 だから、わたしは 『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」

 聖書にはストレートな紹介のされた方をしている人が登場します。それは「罪深い女」です。
 この女性はイエス様のいる場所を知ってやってきました。そしてパリサイ人シモンの家に招かれ食卓に着いていたイエス様の足を自分の涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、足に口づけし、香油を塗ったのです。
 人の行動には理由があります。良く思われたくて善を行う人もいるでしょう。他人のために尽くす人の中には、償いの気持ちで行動する人もいるようです。その背後にその人自身の生き方が見えることがあります。
 この罪深い女はなぜこのようなことをしたのでしょう。彼女は自分の罪深さを知っていました。そしてイエス様によってその罪が赦されたのです。自分みたいに罪深い者をも愛し、赦し、受け入れて下さったイエス様の愛に応えたい、それが彼女の行動の背後にはあったのです。
 「こんな私でもいいのですか」と聞くことがあります。自分の弱さや罪深さなどを思っての言葉です。「そんなあなたでもいいのです」。

☆★☆ 次週 2017年 6月 25日(日)の予定 ☆★☆
『失敗の人生ではないのです』 ※特別礼拝<4>
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 9:1-7/新約聖書
タグ:聖書のお話
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