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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

今週の礼拝(恵みの扉) ブログトップ
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2017年 5月 21日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『あなたを立てるために』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:1—11/新約聖書
10:8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。

 コリント教会を教えてきたパウロには、まだ苦労が続いていたようです。一部にパウロを批判し続ける人がいたようです。パウロもやや強気な手紙を書きました。
 パウロに挑戦してくる人々は、パウロの使徒としての権威を否定し、その話しぶりの弱々しさを批判しました。同じ信仰に立っていながらこれは悲しい態度だと思います。
 私たち信仰に立って生きる者には、祈りがあり、希望があり、愛があり、神の御言葉を受け取っています。聖霊なる神の力が備えられ、私たちは戦わなければならない罪への誘惑に勝利することができるのです。批判する人たちの高ぶりもまた退けられなければならないでしょう。
 パウロは批判されたからと言って、批判者を倒すことを目的としてはいません。同じ信仰に立つ者としてむしろ、彼らを立たせたいのです。その挑戦に対し勝っても意味はありません。彼ら批判する者が高ぶりを捨てて共に立って歩むようになることこそパウロの目標とするところです。

☆★☆ 次週 2017年 5月 28日(日)の予定 ☆★☆
『働きにおけるわきまえ』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:12-18/新約聖書
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2017年 5月 14日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『豊かに蒔く者の祝福』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 9:6-15/新約聖書
9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

 困窮状態の教会を支援するための献金が求められていました。献金について考えてみましょう。
 献金する者のあり方、それはいやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにすることが大切です。そこに感謝と喜びを加えるべきでしょう。献金は金額ではなく捧げる者の態度が重要なのです。
 豊かに蒔く者に祝福が約束されています。多くの収穫を得るために蒔く種をけちるわけにはいきません。しかし、献金となると自分に必要なお金の不足を心配してしまい、私たちはためらってしまいます。けれども、神様は蒔くための種を、つまり、献金するものまでも備えて下さいます。こうして捧げる者はよりいっそう捧げる者となることができるのです。
 捧げる者はあらゆる点で豊かにされるでしょう。支援を受け取った教会から感謝や賛美があふれ、神様の恵みを覚えて捧げ物をした一人一人を慕うようになるのですから。捧げ物をする者とならせていただきましょう。

☆★☆ 次週 2017年 5月 21日(日)の予定 ☆★☆
『あなたを立てるために』 ※ファミリー礼拝 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:1—11/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 5月 7日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『信頼で結ばれて』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:16~9:5/新約聖書
8:20-21 私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。 それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。

 私たちがとかく気になるのはお金の問題です。問題の種にもなりますが、公正でありたいものです。
 教会における献金の取り扱いには注意が必要です。喜んで捧げた献金が不正に扱われたら大変なことです。困窮状態にある教会への支援献金を受け取るためにテトスと二人の兄弟が使者として遣わされました。彼らは教会が選んだ人たち、信頼が保証された人たちでした。
 献金を扱う人が神の前にも人の前にも公明正大であることは譲れない条件です。献金を厳重に管理し、会計報告を定期的に行い、会計の監査を受け、献金の使われ方や残金が把握されていることは極めて重要です。非難されることのない管理が続けられなければなりません。
 信頼で結ばれてこそ、人は献金をすることができるし、献金を人に預けることができるのです。トラブルになりやすいお金の問題ですが、教会は確かな基準で、最高の水準で、これを管理していける、責任を果たせるに十分な群れでありたいものです。

☆★☆ 次週 2017年 5月 14日(日)の予定 ☆★☆
『豊かに蒔く者の祝福』 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 9:6-15/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 30日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『満ちあふれる喜びから』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:1‐15/新約聖書
8:2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

 クリスチャンはどこか超越している者たちなのだと思います。献金においてそれを知ることができます。
 中心的な教会が諸事情から困窮した状態になっていましたが、その時、多くの教会が支援に加わりました。その中には全く余裕がないのにも関わらず惜しみなく捧げた教会があったのです。彼らには満ちあふれる喜びがありました。その喜びが捧げ物となってあふれ出たのです。
 イエス様の模範を知ることが大切だと言われています。神である方がその神としてのあり方を捨てて人間となった、つまりそれは私たちのために貧しくなって下さったということなのです。その貧しさによって私たちは救われ、永遠のいのちをいただき、今は神にあって富む者となりました。
 私たちも同じように満ちあふれる喜びをいただいている者たちです。必要とあれば喜んで他の人を支える交わりに加わりたいと願います。そのようにして私たちは互いに平等になるのだと教えられています。互いに支え合い補い合う…。そうしてみな足りないことはなくなるのです。

☆★☆ 次週 2017年 5月 7日(日)の予定 ☆★☆
『信頼で結ばれて』 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:16~9:5/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 23日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『神の御心に添った悲しみ』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 7:5-16/新約聖書
7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 パウロは自分が書いた手紙によってコリント教会を悲しませることになったという後悔がありました。
 他人のために思いを尽くし力を尽くして行動する時、時には厳しいことも言わなくてはならないということが起こります。パウロは放置できないコリント教会の現実を憂い、厳しい言葉をもって語りかけたのでした。
 しかしコリント教会は神様に対する自分たちの罪を悲しみ、悔い改めたのです。それがまさしく「神のみこころに添った悲しみ」なのです。
 罪の結果を悲しむ人はいますが、罪そのものを悲しむ人は少ないのです。自分のために罪を後悔してやり直そうという人はいるかもしれません。しかし、神様に対して罪を悲しみ悔い改めることが求められています。

☆★☆ 次週 2017年 4月 30日(日)の予定 ☆★☆
『満ちあふれる喜びから』 ※ハッピーサンデー 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:1‐15/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 16日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『なぜ泣いているのですか』 ※イースター礼拝


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ヨハネの福音書 20:11-18/新約聖書
20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

 イースターおめでとうございます!この喜びが皆様の上に豊かにありますようにお祈りいたします。
 イエス様が十字架で死んで3日目の日曜日の朝、マグダラのマリヤはイエス様の墓に来ていました。そこはマリヤにとって悲しみの場所、そしてかすかに生前のイエス様に近づける場所でした。
 マリヤの悲しみは深いものでした。復活されたイエス様から「なぜ泣いているのですか」と呼びかけられても気づかないほどでした。希望も持てなくなった今、人の声は十分に聞こえず、心にも届かないのです。
 しかしこの時、マリヤは聞いたのです。自分の名を呼ぶ優しい愛に満ちた声を。「マリヤ」、この呼びかけは彼女を悲しみから立ち直らせることとなりました。マリヤは復活のイエス様に出会うことができたのです。
 イエス様は生きておられます。ここに希望があるのです。悲しみが喜びに変えられる、それはこの復活のイエス様との出会いによってです。

☆★☆ 次週 2017年 4月 23日(日)の予定 ☆★☆
『神の御心に添った悲しみ』  
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 7:5-16/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 9日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『完了した』※キリストの受難週


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ヨハネの福音書 19:17-30/新約聖書
19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

 罪のないイエス様はまるで犯罪人のように扱われて十字架にかけられ死なれました。このイエス様の十字架の死にはどのような意味があったのでしょうか。
 一つのことが「終わった」時でした。もはや手段を選ばないユダヤ人たちの嫉妬心はこの時、イエス様の死をもって終わったのです。
 しかしこの時、イエス様は大切なことを「達成した」のです。最初の人間が罪を犯したその罪の歴史の初めから神様が計画された罪人を救うという神様の愛の御心の達成です。イエス様が私たち罪人の身代わりとして罪がさばかれたのです。それは聖書の預言の成就でした。
 そして全てが「完了した」のです。私たちの罪は赦され、罪から解放され、神の義をいただきました。すなわち永遠のいのちが与えられ、新しい人となり、私たちは今まさに神の子どもです。贖いの完成です。

☆★☆ 次週 2017年 4月 16日(日)の予定 ☆★☆
  『なぜ泣いているのですか』 ※イースター礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 20:11-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 2日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『この人には罪を認めません』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:28-40、19:1-16/新約聖書
19:6 ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

 イエス様はユダヤ人の指導者たちによる裁判を経て、ローマ側による裁判を受けることになりました。
 総督ピラトにイエス様の命は預けられることになりました。ピラトは最初、ユダヤ人指導者に差し戻そうとしましたがそれは叶(かな)わず、次には釈放しようとしたり、むち打ちによって人々を納得させようとしました。ピラトには「この人には罪は認められない」という答えは出ていたのです。
 イエス様こそ私たち罪人のための救い主、この方こそ真理そのものであるにもかかわらず、人々は真理から遠ざかっていきました。ピラトは大多数の意見に乗ったり、自分の利益を優先しました。ユダヤ人指導者たちは目的達成のためなら手段を選ばず、また自分から罪の中に留まる道を選んでいきました。
 しかし、このようにして罪のないイエス様がまるで罪人、犯罪人のように扱われて十字架へと向かわれました。これはまさにピラト、ユダヤ人指導者、そして私たちすべての身代わりとなるためだったのです。

☆★☆ 次週 2017年 4月 9日(日)の予定 ☆★☆
  『完了した』 ※キリストの受難週
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 19:17-30/新約聖書
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2017年 3月 26日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『それはわたしです』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:1-14/新約聖書
18:4-5 イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか」と彼らに言われた。彼らは、「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです」と言われた。

 イエス様を逮捕する準備を整えた人々は数百人規模に及んでいたと思われます。そこにはイエス様の弟子の一人イスカリオテ・ユダもいました。悪の手は夜に動きました。
 この時、自分に向かってきた人々に向かってイエス様の方から声をかけました。「『だれを捜すのか』と彼らに言われた。彼らは、『ナザレ人イエスを』と答えた。イエスは彼らに『それはわたしです』と言われた。」
 「それはわたしです」というイエス様の言葉は「わたしこそ神である」という宣言そのものでした。イエス様の言葉にある力と権威を前にして人々は後ずさりし、倒れてしまったと記されています。
 イエス様はご自分を神と宣言する中で、逮捕の対象は自分一人であり、そばにいた弟子たちは関係ないとして弟子たちを守られたのです。
 弟子のペテロは混乱し剣を抜きましたが、イエス様に止められました。神の御心に委ねるべきことを悟らせるためであったでしょう。人間的な力で問題解決を図るのを止めさせたのです。主の御手に委ねよ、と。

☆★☆ 次週 2017年 4月 2日(日)の予定 ☆★☆
  『この人には罪を認めません』
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:28-40、19:1-16/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 3月 19日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『ろばに乗った救い主』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ヨハネの福音書 12:12-18/新約聖書
12:14-15 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」

 いったいどの位の群衆がイエス様を出迎えたのでしょうか。イエス様についてきた群衆と都エルサレムで待ち受ける群衆。イエス様の最後のエルサレム入城はまさに歓喜の渦の中でした。「万歳!」さながら「ホサナ」と人々は叫んだのです。
 イエス様はろばに乗られました。しかもそれは子ろばでした。見栄えのしないものだったかもしれません。軍馬にまたがった方が勇ましいことでしょう。しかし、平和の君として来られたイエス様は平和を表わすろばに乗られました。ここにイエス様がこの地に来られた意味がありました。
 人々はこの時、誤解していました。今こそイエス様は自分たちユダヤ民族をかつての栄光ある姿に回復させてくれる政治的な王様と確信したのです。自分たちの期待をイエス様に重ねて熱狂し、出迎えたのです。これは信仰とは言えません。聖書の言葉に耳を傾けて従うのではなく、自分の願望を第一にしてイエス様に期待するだけだからです。私たちは御言葉に耳を傾け、救い主としてを心に迎えたいものです。

☆★☆ 次週 2017年 3月 26日(日)の予定 ☆★☆
  『それはわたしです』
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 18:1-14/新約聖書
タグ:聖書のお話
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