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愛されるために生まれたあなたへ・・・。私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

『さあ、紙芝居を始めるよ~!」(公園の子どもたち:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載10>


 土曜日の午後、私は教会から比較的近くにある公園へと出かけて行った。楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえて来る。
 紙芝居をすることが目的だった。御世辞にも絵が上手とは言えない私の手作り。昔ながらの紙芝居とはスタイルは全く違うもの。真っ黒のラシャ紙を貼ったボードに絵を貼り付けるようにしながらお話するというものだった。
 タンバリンを叩くと始まる。子どもたちがこちらに注目する緊張の瞬間。このタンバリンで私にスイッチが入る。
 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 興味津々の表情を浮かべながら幼児や小学生たちが近づいて来る。ひげをはやした珍しいこのおじさん、何を始めるんだろう…? 子どもたちの興味は尽きない。
 短い簡単な子ども向けの教会の歌をタンバリンでリズムを取りながら歌う。さすが子どもたち。歌はすぐに覚えてくれた。
 お話はいつも聖書から。イエス様の話などを子どもたちは目をキラキラさせて聞いてくれた。聖書の言葉と絵が書いてあるミニカードと飴がお話を聞いてくれた子どもたちへのご褒美。
 実はお話の時間は短い。むしろその後の時間が長い。何をするのか…? 子どもたちとただ遊ぶのである。鬼ごっこ、だるまさんが転んだ、ジャンケンゲーム…。中には自分と家族のことをたくさん話してくれる子どももいた。手をつないできたり、背中におぶさってきたり、じゃれて来る子どももあった。初対面のひげのおじさんに心をゆるす姿に驚きながら、私は子どもたちの名前を覚えて名前で呼んだ。
 「また来週ね!」 子どもたちが一生懸命に手を振ってくれることは喜びだった。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

タグ:エッセイ
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『憲法を眺めて思う』 [コラム Column こらむ!]

 日本国憲法が話題になっています。そこにはとても麗しいことが書かれています。
 【第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。】
 人権は、国や権力者が私たちに与えるという恩恵ではないのです。生まれた時から、誰にでも区別なく保障されているものです。国の都合で制限されることのない「侵すことのできない永久の権利」です。
 【第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対 する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。】
 私たちは個人として尊重されるのです。国のために私たちが存在しているのではなく、私たちのために国があるのです。一人一人がかけがえのない命を持つ個人、あらゆる違いを超えて尊重されるのです。
 何を考え、何を語ることも保障され、何を信仰しあるいは何も信仰しないことも自由であり、学び、生活が保障されているのです。
 こうして、日本国憲法の基本的人権を眺めてみると、聖書の中にある人間理解が重なります。神様は私たち個人をかけがえのない尊い存在として造り、愛して下さいます。その個人のために神様はすべてのものを備えて祝福してくださいます。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

タグ:オピニオン
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『悲しみが喜びに変えられる時』 [バイブル・メッセージ]

 皆様、お変わりありませんか。
 一人の女性の話をしたいと思います。聖書に登場するマグダラのマリヤ。彼女には大きな悩みがありました。難しい病気があったからです。ところが、彼女はイエス様と出会い、病気を直してもらうことができたのです。それ以来、彼女はイエス様の弟子となってお供をするようになりました。
 恩に報いたい…、それが彼女の動機だったかもしれません。いや、イエス様こそ救い主だと信じたからこそ、彼女はイエス様に従ったのです。それが彼女の喜びでした。
 しかし、人生とは思うように行かないものです。たった数年でイエス様を失うことになったのですから。気丈にも彼女は十字架につけられているイエス様を目の前で見届けました。そして埋葬にも立ち会いました。イエス様から少しも離れたくなかったのです。それが自分を保つ唯一残された方法だったに違いありません。
 死んで3日目となる日曜日の朝には、彼女はイエス様のお墓に行きました。とにかくイエス様を近くに感じていたいのです。それ程(ほど)、マグダラのマリヤの心に開いた穴は深く大きかったのでしょう。
 ところが、新しい悲しみが彼女を待っていました。墓にイエス様の遺体がなかったのです。彼女は途方に暮れてしまいました。「なぜ泣いているのですか…」と声をかけられましたが、イエス様の遺体を捜している彼女に心が癒される時は来ませんでした。涙ばかりが出て止まりませんでした。
 「マリヤ!」
 聞き覚えのあるこの呼びかけに彼女はすぐに反応しました。イエス様だったのです。イエス様は死からよみがえり生きておられたのです。彼女の悲しみは喜びに変えられ、涙に濡れた顔に笑顔がこぼれました。
 「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。」(聖書)    -牧師-

〔2017.05/ほっとひと息・第1110号〕

タグ:聖書のお話
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混乱の日にあって [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
人生には、時に、驚かされる日もあれば、混乱してしまう日もあります。
答えの出ない疑いに包み込まれて、次に何をしたらよいのか、よく分からないでいる自分に気づく時もあります。
こうして混乱し、うろたえていると、緊張感がすぐ後ろから追いかけて来るのです。
そして、ますます不安の度合いが強まってしまいます…。
神様、私たちのはっきり見えない事柄から私を守り、あなたの光を与えてください。
霧を取り除き、緊張をほぐし、平安へと変えてくださいますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2017年 5月 21日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『あなたを立てるために』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:1—11/新約聖書
10:8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。

 コリント教会を教えてきたパウロには、まだ苦労が続いていたようです。一部にパウロを批判し続ける人がいたようです。パウロもやや強気な手紙を書きました。
 パウロに挑戦してくる人々は、パウロの使徒としての権威を否定し、その話しぶりの弱々しさを批判しました。同じ信仰に立っていながらこれは悲しい態度だと思います。
 私たち信仰に立って生きる者には、祈りがあり、希望があり、愛があり、神の御言葉を受け取っています。聖霊なる神の力が備えられ、私たちは戦わなければならない罪への誘惑に勝利することができるのです。批判する人たちの高ぶりもまた退けられなければならないでしょう。
 パウロは批判されたからと言って、批判者を倒すことを目的としてはいません。同じ信仰に立つ者としてむしろ、彼らを立たせたいのです。その挑戦に対し勝っても意味はありません。彼ら批判する者が高ぶりを捨てて共に立って歩むようになることこそパウロの目標とするところです。

☆★☆ 次週 2017年 5月 28日(日)の予定 ☆★☆
『働きにおけるわきまえ』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:12-18/新約聖書
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2017年 5月 14日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『豊かに蒔く者の祝福』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 9:6-15/新約聖書
9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

 困窮状態の教会を支援するための献金が求められていました。献金について考えてみましょう。
 献金する者のあり方、それはいやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにすることが大切です。そこに感謝と喜びを加えるべきでしょう。献金は金額ではなく捧げる者の態度が重要なのです。
 豊かに蒔く者に祝福が約束されています。多くの収穫を得るために蒔く種をけちるわけにはいきません。しかし、献金となると自分に必要なお金の不足を心配してしまい、私たちはためらってしまいます。けれども、神様は蒔くための種を、つまり、献金するものまでも備えて下さいます。こうして捧げる者はよりいっそう捧げる者となることができるのです。
 捧げる者はあらゆる点で豊かにされるでしょう。支援を受け取った教会から感謝や賛美があふれ、神様の恵みを覚えて捧げ物をした一人一人を慕うようになるのですから。捧げ物をする者とならせていただきましょう。

☆★☆ 次週 2017年 5月 21日(日)の予定 ☆★☆
『あなたを立てるために』 ※ファミリー礼拝 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:1—11/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 5月 7日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『信頼で結ばれて』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:16~9:5/新約聖書
8:20-21 私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。 それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。

 私たちがとかく気になるのはお金の問題です。問題の種にもなりますが、公正でありたいものです。
 教会における献金の取り扱いには注意が必要です。喜んで捧げた献金が不正に扱われたら大変なことです。困窮状態にある教会への支援献金を受け取るためにテトスと二人の兄弟が使者として遣わされました。彼らは教会が選んだ人たち、信頼が保証された人たちでした。
 献金を扱う人が神の前にも人の前にも公明正大であることは譲れない条件です。献金を厳重に管理し、会計報告を定期的に行い、会計の監査を受け、献金の使われ方や残金が把握されていることは極めて重要です。非難されることのない管理が続けられなければなりません。
 信頼で結ばれてこそ、人は献金をすることができるし、献金を人に預けることができるのです。トラブルになりやすいお金の問題ですが、教会は確かな基準で、最高の水準で、これを管理していける、責任を果たせるに十分な群れでありたいものです。

☆★☆ 次週 2017年 5月 14日(日)の予定 ☆★☆
『豊かに蒔く者の祝福』 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 9:6-15/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 4月 30日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『満ちあふれる喜びから』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:1‐15/新約聖書
8:2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

 クリスチャンはどこか超越している者たちなのだと思います。献金においてそれを知ることができます。
 中心的な教会が諸事情から困窮した状態になっていましたが、その時、多くの教会が支援に加わりました。その中には全く余裕がないのにも関わらず惜しみなく捧げた教会があったのです。彼らには満ちあふれる喜びがありました。その喜びが捧げ物となってあふれ出たのです。
 イエス様の模範を知ることが大切だと言われています。神である方がその神としてのあり方を捨てて人間となった、つまりそれは私たちのために貧しくなって下さったということなのです。その貧しさによって私たちは救われ、永遠のいのちをいただき、今は神にあって富む者となりました。
 私たちも同じように満ちあふれる喜びをいただいている者たちです。必要とあれば喜んで他の人を支える交わりに加わりたいと願います。そのようにして私たちは互いに平等になるのだと教えられています。互いに支え合い補い合う…。そうしてみな足りないことはなくなるのです。

☆★☆ 次週 2017年 5月 7日(日)の予定 ☆★☆
『信頼で結ばれて』 
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 8:16~9:5/新約聖書
タグ:聖書のお話
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祈りが終わるとは… [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
少し不思議な聖書の言葉に出会いました。
「エッサイの子ダビデの祈りは終わった」と。
聖書に「絶えず祈りなさい」とあるように、お祈りには終わりはないものと思っていました。
ですから、「祈りは終わった」には戸惑いを感じます。
しかし、「祈りが終わる」ことを思い巡らす中で、それはあなたの御前に自分の一切をゆだねきることなのだろうと気づきました。
何とかして欲しいと叫んだり訴えたりしている間は、自分の欠乏にのみ目が行き、まだあなたの恵みに立っていません…。
あなたの沈黙の前に身をさらした私たちが、ふと、あなたの恵みに気づいて全てをゆだねた時、あなたはご自身の御名によって答えてくださるのでしょう。
終わりをもつ祈り、終わりから始まる祈り…。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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