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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

思い煩いが増すときに [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
生きるとは悩むことであるかもしれないと思うことがあります。
子どもには子どもの悩みがあり、大人にも大人ならではの苦悩というものがあります。
聖書の詩人は言いました。
「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように」(詩篇)と。
思い煩いが増すときに、そこから神様の慰めへと直行し、たましいが喜びに行き着けるのはなぜでしょう。
それは、詩人が祈りの力を知っていたからではないかと…。
神様は私たちに人知では計り知れない平安を備え、祈る者の心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださるお方です。
ダビデは「私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」(詩篇)と祈りました。
神様、あなたは祈る私たちを思い煩いと失意の谷から、慰めと喜びの高みに引き上げてくださいます。
思い煩う時、その思いを祈りに変えて、あなたに向かう者とならせてください。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2016年 10月 23日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『誠実に生きる』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 1:12-14/新約聖書
1:12 ・・・、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。

 疑われたり、本心を隠しているだろうと言われたりするとしたら、私たちにとって悲しい出来事です。
 では、人からの信頼を保つ生き方とはどのようなものでしょうか。もし周囲に信頼することが難しい人が一人でもいたら、そこから信頼を失う生き方がどのようなものであるか気がつくことでしょう。まずはその逆の生き方、真似をしたくない生き方を知ることです。
 それは真実な言葉を話すことであり、裏表のない正直な歩みをすることです。パウロはそこに神様への信仰が土台となっていると語ります。目に見える行動とともに、心の思いが聖められているというのです。それが誠実に生きるということでしょう。これを求めて生きたいと願います。
 誠実に生きる時、お互いの間に信頼関係という実が結ばれるでしょう。そこには尊敬も生まれるのです。私たちはお互いの間にいつも、いつまでも信頼と尊敬を持ってお互いを受け入れ合う関係を築きたいと思います。

☆★☆ 次週 2016年 10月 30日(日)の予定 ☆★☆
  『思いやり』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 1:15-2:4/新約聖書
タグ:聖書のお話
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見えるところは最悪であっても [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
「いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。」(旧約聖書/ハバクク書)
これはまさに八方ふさがりの最悪な状態です。
人はこのような局面に立たされてはじめて、いろいろな自分の姿と向き合うことになるのです。
自分の信仰がご利益に左右される信仰なのかどうか…、それとも、すべてを神様の御心にゆだねることのできる、確かな信頼に立っているのかどうか…。
預言者ハバククは、目に見えるところは最悪であってもその信頼は揺るがず、神様、あなたによって喜ぶと語っています。
逆境だと思える時にこそ、実はあなたが私たちに最も近く迫っていてくださる恵みの時なのかもしれません。
どうか、私たちが逆境の中にあって神様の恵みを見ることのができる者、またそのような信仰に立たせてくださいますように。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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『縁側にて』(近所のおばあちゃん:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 7>


 教会の近くを歩いている時のことだった。ふと、どこからか視線を感じた。辺りを見回してみたところ、小さな家の縁側にたたずむおばあちゃんの姿があった。
 その頃の私と言えば、まだ若く、トレードマークの髭やもみ上げも黒々としており、とても目立つものだった。そんな珍しい風貌をしていたからなのか、おばあちゃんは私に注意を向けていた。
 「こんにちはー!」
 私の挨拶に対する反応は早かった。やはりあのおばあちゃんに間違いなかったようだ。「このまま通り過ぎてはいけないよ」という声なき声のようなものを感じ、私はその縁側へと静かに向かった。
 小鳥を飼う一人暮らしのおばあちゃん。餌の準備を丁寧に行っている最中だった。お部屋から鳥の可愛い鳴き声が聞こえてきたが、お部屋の様子が目に入った時、高齢者の一人暮らしの大変さが伺えた。
 「この近くにある教会の牧師をしているんですよ」と自己紹介をしたところ、おばあちゃんは幼少期の話をしてくれた。
 子どもの頃、飛行機でビラが撒かれてそれを受け取ったそうだ。そのビラにはキリスト教の話が書かれていて、イエス様に憧れていたんだということだった。昔の1枚のビラの記憶が、今もおばあちゃんの心にあり、しかもいつかキリスト教会に行きたいと思っていたという話だったから、本当に驚いてしまった。
 その後、おばあちゃんは自分のことをいろいろと話してくれた。生まれた町のこと、一人残されたこと、心臓の病気があること。この小さな出会いは、このおばあちゃんの生活を新しくするきっかけとなった。通り過ぎなくて本当に良かったと思った。つづく

〔2016.10/ほっとひと息・第107号〕

タグ:エッセイ
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『あの日を忘れてはいけない』 [コラム Column こらむ!]

 東日本大震災の被災地を訪ねてきました。訪問先は宮城県の南三陸町と石巻市。
 私はイザヤ58ネットという被災地支援をするネットワークに加わり、後方で活動をサポートしてきましたが、念願の被災地訪問がようやく実現しました。そしてたくさんの驚きをもって帰ってきました。
 南三陸町は大きく変わっていました。盛り土がされて造られた新しい道路があちこちにありました。ある種不自然な風景ばかり。海が見えにくい風景をその土地の人々は複雑な思いで眺めていました。
 大勢の子どもたちの命が失われた大川小学校を見てきました。瓦礫となった校舎があの瞬間を語っています。絶句でした。時計の針が少しも進んでいないようです。
 仮設住宅で暮らす人の数は確かに減っていましたが、訪ねた仮設の集会所で数名の婦人たちが私たちの到着を今か今かと待っていてくれました。まるで息子が帰ってきたかのような歓迎ぶり…。何度も何度も同じ所を訪ねてきたことが、このような信頼関係を築ける結果を生んだのです。支援する者と支援される者という関係ではなく、それはありふれた楽しい交流でした。
 家族を津波で失った方と出会いました。高齢の方でしたが、震災の語り部を自主的にされていました。一つ一つの詳しい説明と写真に私たちの心は震える思いでしたが、どうしても伝えなくてはと思う心の強さに圧倒されるひとときでした。あの日を忘れないこと…、これは大切な支援です。

〔2016.10/ほっとひと息・第107号〕

タグ:オピニオン
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『人を作り変える方』 [バイブル・メッセージ]

 皆様、お変わりありませんか。
 私は小学生の頃から若白髪が目立っていましたので、それにちなんだニックネームを付けられた経験があります。ニックネームはこのように外見から付けられる場合もありますが、その人の性格をうまく表現して付けられることもあるようです。
 兄弟して漁師を営んでいたヤコブとヨハネは、イエス様を救い主と信じて弟子となりましたが、この二人には「雷の子」というニックネームが付けられました。
 「雷の子」とはどういうことでしょう。すぐに腹を立てるような短気で激しい性格というイメージでしょうか。
 確かにヤコブとヨハネは、気に入らないことに対しては感情を露わにする性格でした。半ば人種差別なことを口にすることさえありました。加えて、人よりも偉くなりたいという野心を持ち、なかなか手強い性格の持ち主だったようです。
 イエス様はそんな彼らに言われました。
 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:43-45)
 イエス様はその言葉の通りに生きた方でした。ヤコブもヨハネも弟子としてそれをすぐそばで見てきました。二人は自分の自己中心さを悔い改め、イエス様の言葉、その行い、生き方を見て学び、性格も変えられていきました。イエス様は自分の母マリヤのことをヨハネに託すほどに信頼するようになりました。愛のない、愛の薄い二人もイエス様が与えて下さった愛と信仰により愛のある人へと変えられていきました。
 神様が人を作り変えるのです。-牧師-

〔2016.10/ほっとひと息・第107号〕

タグ:聖書のお話
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2016年 10月 16日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『望みを神に置く』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 1:8-11/新約聖書
1:10 神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

 聖書には「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。」(詩篇)という御言葉があります。このようなことを言えるのはなぜだろうかと考えてみませんか。
 パウロは「心の中で死を覚悟」するほどの経験をしたようです。しかし、それは自分を頼るのではなく死者をよみがえらせてくださる神様に信頼するためだったと語っています。ですから、私たちはどうにもならない状況になってもならなくても、いつも神様を信頼していきたいと思います。
 神様は私たちを救い出して下さったし、将来も救い出して下さるという確信の中で、パウロはこの神様に望みを置くと語ります。神様に対する私たちの確信はそのまま強い信頼へとつながるのです。そのような経験の中で「苦しみに会ったことはしあわせでした」と言えるのでしょう。
 ただ、私たち自身は決して強い者ではありませんから、互いに支え合う中で神に望みを置いて生きることができるのです。支え合いの中心は祈りの支援です。他の人のために祈ることに心を向けていきましょう。

☆★☆ 次週 2016年 10月 23日(日)の予定 ☆★☆
  『誠実に生きる』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 1:12-14/新約聖書
タグ:聖書のお話
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悲しい時には、悲しいと祈りたい! [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
クリスチャンは、時に「信仰」にふさわしく歩むもうとするあまり、自分の心の叫びを押し殺してしまうことがあるのかもしれません。
けれども、悲しみや苦しみを隠したまま、神様は素晴らしいと賛美することが、果たして信仰的と言えるのかどうか…。
悲しい時には「悲しい」と、苦しい時には「苦しい」と、時には「神様、なぜですか…」と叫ぶこともあっては良いのではいでしょうか。
本音で神様に叫び求めるところに、真実なあなたとのコミュニケーションがあると信じます。
私たちのイエス様は、悲しみや苦しみを共に負って下さるお方、私たちの叫びのただ中にいてくださるお方ですから。
そんな神様だからこそ、またそこであなたに触れるときにこそ、私たちの唇には賛美が沸き起こるように思います。
「すべての息あるものよ、神様をほめたたえよ!」と。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2016年 10月 9日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『苦しみの意味』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 1:1-7/新約聖書
1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

 「苦しみ」に意味などあるのでしょうか。苦しまない方が人生は幸せに決まっていると言われそうです。
 イエス様を救い主と信じたクリスチャンが苦しみに会うことを聖書は語っています。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ1:29)。
 ところが、その苦しみに勝って慰めが与えられると語られています。神様が私たちを慰めて下さいます。苦しむ私たちの心を和らげ、支え、勇気をもたらしてくれるのです。あふれる程の苦難を経験することがあるかもしれませんが、慰めもあふれていると約束されています。
 そして苦しみの意味が語られています。「私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」(4節)。苦しみによって私たちは他の人を慰める力を獲得するということです。苦しめば苦しむほど、多くの慰めを神様から受け、そして他の人を慰める者となり、他の人のために生きるのです。

☆★☆ 次週 2016年 10月 16日(日)の予定 ☆★☆
  『望みを神に置く』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 1:8-11/新約聖書
タグ:聖書のお話
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神様が見えなくなる時に [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
人生の旅路にはあなたの御姿が全く見えないと思える道中があるのです。
ああ、神様はもう私を見捨てしまわれたのか、私の祈りにも叫びにも耳を傾けてくださらないのか、としか思えないような、そんな孤独な坂道を通ることも…。
苦難の人であるヨブは嘆いて言いました。「なぜ、あなたは御顔を隠し、私をあなたの敵とみなされるのですか」と。
ダビデは、「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか」と、あなたが沈黙されることの辛さを訴えています。
この後、ヨブは二倍の祝福を受け、ダビデは王座へと引き上げられたことを考えれば、あなたは私たちをお見捨てになってなどいないのだと目が開かれます。
あなたが私からお隠れになったのか…とあわてずに、あなたのみわざはやがて必ず訪れると待ち望めばいいのでしょうか?
答えてください、神様。
私の苦しい胸の内を知り、私にあなたの御顔を仰ぎ見る信仰を与えてください。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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