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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

2016年 8月 28日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『あなたの祈りを聞くお方』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 5:14-17/新約聖書
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

 私たちが神様に向かってお祈りすることはとても日常的なことでしょう。自分のため、家族のため、友人のため、社会、世界、平和のため、テーマはいろいろあることでしょう。
 祈りの確信が語られています。「神はその願いを聞いてくださる」と約束されています。しかも、祈りの答えが将来のことであっても、すでに祈りを答えを持っていると知ることができると約束されいます。
 ただし、ここには一つの条件があります。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら」です。私たちの心の願いを神様のみこころにあわせていくことの必要を教えています。
 また、他者のための祈りについても勧められてます。兄弟愛を実践する者として他の人のために祈ることは自然なことです。罪を犯した兄弟を無視したり、軽蔑したりするのではなくとりなしの祈りをするようにと教えられています。イエス様は自分を否定した弟子のペテロのために祈りペテロを取り戻しました。私たちもその模範にならいたいと思います。

☆★☆ 次週 2016年 9月 4日(日)の予定 ☆★☆
  『私たちは神のもの』
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 5:18-21/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2016年 8月 21日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『迷う人たちへ』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 5:6-13/新約聖書
5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

 信仰について迷う人たちは昔も今もくたくさんいらっしゃいます。イエス様は本当に神様なのか…、イエス様は実際にいたのか…、イエス様が行った奇蹟は本当なのか…。
 そのような信仰における迷いを確信へと導くために、ヨハネはこの書を書きました。改めて自分の信仰の確信を得ることは大切なことです。
 イエス様について証するものが3つあると言われます。水と血、そして聖霊です。水はイエス様が洗礼を受けられた時のことであり、血はイエス様の十字架を言い表しています。それらの中にイエス様がまさしく神であることが証されているからです。イエス様の生涯すべてにおいてイエス様が神であることが証されているということです。そして、それらを私たちの心において明らかにしてくださるのが聖霊なる神です。
 私たちが日常、人の言葉を信用して生きているように、神様ご自身のこの証言を信用してほしいと思います。信仰とは神様のこの証言を受け入れることです。それによって永遠の命の確かさが保証されます。

☆★☆ 次週 2016年 8月 28日(日)の予定 ☆★☆
  『あなたの祈りを聞くお方』
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 5:14-17/新約聖書
タグ:聖書のお話
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教会に集まる人たちの祝福を祈ります [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
教会に集まる人たちに神様の恵みがありますように。
教会を通して、人生に疲れた者たちが癒されますように。
教会を通して、罪と裁きに打たれた者たちが、救いを得、生きる勇気を得ることができますように。
教会を通して、正義を求め、正義を行なう者たちが起こされ、希望を持ち続けることができますように。
教会を通して、空しさを覚えて弱った者たちに、永遠の命と神の平安による安らぎが与えられますように。
教会を通して、孤独な者たちが真の交わりの豊かさを知ることができますように。
教会を通して、キリストの平和と喜びの知らせが人々に届けられますように。
教会を通して、人々がエゴイズムから自由になり、神様の真理に導かれ変えられますように。
教会に集まる人たちに、神様の恵みと祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2016年 8月 14日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『わたしが空腹であった時』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マタイの福音書 25:31-46/新約聖書
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

 平和について一緒に考えたいと思いますが、世界を見渡す時、たくさんの争いがあり、悲しみが続いている現実を知らされます。それらは決して遠くの事ではありません。テロ、権力闘争、核兵器、ヘイトスピーチ、宗教対立、民族対立・・・。
 聖書を読む時、一つの大きな未来があることを思い起こします。それは私たちは神様の前に立つ時が必ず来るということです。それは人間の最後のさばきの時です。天国に入ることが定まった者たちは右へ、そうでない者たちは左へと選り分けられるのです。
 その時、神様は一つの大切な基準を明らかにしています。それは「わたしが空腹であったとき」というものです。そこにイエス様がいるわけではないけれども、すべてのことをイエス様に対してするように心から、愛をもって、どんなに小さい存在の者に対しても行ってきたかと・・・。
 信仰を持つ者として、思いを言葉や行動においても現せるようでありたいと思います。それこそ平和をつくる者の生き方ではないでしょうか。

☆★☆ 次週 2016年 8月 21日(日)の予定 ☆★☆
  『迷う人たちへ』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 5:6-13/新約聖書
タグ:聖書のお話
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心乱れるとき [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
私たちは、自分の心の奥底に混乱を抱えているように思えてならないのです。
そこに無意識のうちにフタをすることで、ギリギリ心のバランスを保っているように思うのです。
私たちの日々の行ないは、自分の心の奥底に隠されている様々な思いによって駆り立てられています。
プライド、優越感、劣等感…、心の闇に自分が動かされているために起こることです。
自分のその心に気づくために、静まろうとすると、かえって普段忘れていた様々な思いが沸き起こり、心が乱れてしまいます。
いっそのこと自分の心とその思いを白紙にできたら…。
もちろん白紙にはできないのですけれども、ただ、ありのままで、神様、あなたを見上げることができたと願います。
それが信仰によって可能となるのかもしれません。
神様、そのような信仰をお与えください。
何を抱えていようとも、あなたの前にはありのままの自分で祈ることことができるように助けてください。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2016年 8月 7日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『勝利者』


<礼拝メッセージの概要>
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<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 5:1-5/新約聖書
5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

 イエス様を信じる者は神の家族です。「神によって生まれた」からです。私たちは今、神の子どもです。
 神の家族である私たちが互いに愛し合うことは自然なことです。神様がまず私たちを愛し、私たちを生んで下さったからです。
 私たちが神様を愛する時、神様の言葉に従うこともまた自然なこととなるでしょう。愛と信頼を寄せる神様の言葉を意地悪だとは思いませんし、従うことはそのまま喜びを共にすることになるからです。また、神様の言葉に従うことが重荷になることはないでしょう。
 愛と従順というものが成立するために必要なもの、それは信仰です。信仰がなかったら愛することも従うことも不可能となるでしょう。そしてその信仰が世に対して勝利する秘訣なのです。私たちを内側から攻めて来る欲望に対しても、私たちを外側から攻めて来る間違った教えや圧力に対しても勝利するのです。信仰に立ち続ける者が勝利者です。

☆★☆ 次週 2016年 8月 14日(日)の予定 ☆★☆
  『わたしが空腹であった時』
  <聖書の言葉> マタイの福音書 25:31-46/新約聖書
タグ:聖書のお話
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闇さえも [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
聖書の創世記を通して私たちはこの世界の初めを知ることができます。
あなたは、元々何もなく混沌だったこの世界を、光と闇、天と地、陸と海、植物と動物…と分けて形造ってくださいました。
そこから一つ思い巡らしているのは、あなたは光を造ってなお闇を切り捨てずに残されたということです。
闇さえも必要な部分であり、あなたの御手の内にあるものだと気づかされています。
私たちの人生の闇のような部分、暗さ、醜さ、歪みの部分にもあなたの目は注がれ、愛が届けられると信じます。
私たちがそのあなたの愛を受けて、他の人を受け入れ、自分をも受け入れ、そして共に生きる歩みに進ませてくださいますように。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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『忘れられない8日間』 [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載 6>


 「もう何年もあの子の笑顔を見ていませんでした。今日、笑顔が戻りました。」
 お母さんと共にあの末期の患者さんの嬉しい変化に誰もが気づき喜び合った。私の心は感動で震え、静かに興奮していた。
 しかし、こんなに素晴らしい日がいつまで続くのだろうか・・・。
 数日後に改めて病室を訪ねた。患者さんの心の変化とは別に、その容態は悪化しているようだった。
 最初の病床訪問から8日後にも顔を見に出かけた。患者さんの傍らに立った時、その変わりように一瞬、言葉を失いかけた。次回はないかもしれない・・・。
 「今日はいっしょに賛美歌を歌いませんか」と誘い、多くの人にも知られている「いつくしみ深き」を歌った。その歌詞に改めて涙ぐむほどの感動を覚えた。いっしょにいた看護師さんたちも歌ってくれた。この時、病室には神様の愛が満ちていた。
 翌日、知らせが届いてしまった。まだ30代なのに・・・。辛い1日となった。
 私が会えたのはたった3回。でも本当に会えてよかった。神様はあの患者さんのために素晴らしいことをして下さった。
 やがて天国であの方と再会できるということを私は楽しみにしている。私はこの希望に慰められている。
 ある日、思いがけない手紙が届いた。差出人はあの病棟の看護師さん。医療者にはできない末期の患者さんとの関わり方と、その患者さんにみられた麗しい変化に感銘を受けたからという内容だった。恐縮するばかりだった。
 神様が出会いを用意した。そして一人の痛みの中にいる人と家族を笑顔に変えた。すべて神様の愛による出来事である。

〔2016.7/ほっとひと息・第106号〕

タグ:エッセイ
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『メンツより大事なこと』 [コラム Column こらむ!]

 最近思い起こしていることがあります。それは私たちはどうしてもメンツにこだわった生き方をしてしまうという現実があることです。
 随分前の事ですが、ある患者団体の役員をしていた時のことです。長い年月をかけて活動を積み重ね、患者とその家族にとって希望となる薬がもうすぐ私たちの手元にも届くかもしれないという頃、同じ薬のために別な団体が動き出し、私たちよりも精力的にいろいろな方法を駆使して製薬会社や厚生労働省に働きかけをするようになったのです。まるで横取りするようなその振る舞いに危機感を抱いた役員たちは、苛立ちを隠せず、何とかして抵抗しようとしたことがありました。
 その時に思ったことは、なぜ自分たちは苛立ち、抵抗しようとしているのかということです。そこには手柄を持っていかれるかもしれないというメンツへのこだわりがあったのです。患者とその家族にとって希望となるその薬が一日も早く国に認められて使用できるようになることを目標に活動してきたのに、いつのまにかメンツの方が大事になっていたのです。
 目指してきたゴールを確認し、手柄を手にすることへのこだわりを捨て、その別な団体の動きを気にしないようにしました。結果、薬は認められそれを喜びました。
 メンツより大事なことがあることに気づくかどうか、これも自我との闘いでしょうか…。謙遜になれば生き方が変わります。

〔2016.7/ほっとひと息・第106号〕

タグ:オピニオン
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『眠れない夜にも・・・』 [バイブル・メッセージ]

 皆様、お変わりありませんか。
 眠れない・・・、これは私たちにとってこの上もなく辛い現実です。皆様の中にも経験のある方がいらっしゃることでしょう。
 悩み、思い煩い、不安、哀しみ、挫折、孤独など、それら一つ一つがストレスとなって私たちの心を埋め尽くす時、私たちは余裕がなくなり、苛立ち、眠れないという現実に襲われます。
 聖書に登場するダビデ王は、自分の息子が起こした謀反により都を追われ、命までも狙われる経験をしました。ダビデが選んだ道はただ逃げるというものでした。
 そこにもう一つのストレスが加わります。ある男がダビデに近づいて呪いの言葉を吐きました。「全部おまえの責任だ。神がおまえを責めているのだ。災いにあって当然なのだ」と。
 もし自分の身に同じようなことが起きたら、とても精神的にもたないでしょう。
 そのような状況の中でダビデはむやみに行動しないのですから不思議です。しかもダビデは逃亡中にあっても良い眠りを確保したというのです。その理由は明確でした。神様に対するイメージがダビデの中でゆるぎないものだったからです。
 常に神様の力が自分を取り囲んでいる、お祈りは神様に届いている、現実が厳しくても神様は私を救い出して下さる…。
 だからダビデは次の言葉を残しました。
 「主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。…しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光…。私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。…救いは主にあります。」(詩篇3篇)
 神様を信頼する者が手にする平安を知っていただけたら幸いです。 -牧師-

〔2016.7/ほっとひと息・第106号〕

タグ:聖書のお話
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