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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

2016年 7月 24日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『見分ける目』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 4:1-6/新約聖書
4:2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

 宝石やブランド品などで本物そっくりの偽物が出回る話を聞きます。人を騙して儲けるためでしょう。
 聖書において、偽物の福音を語る者が現われることが警告されています。弱い信仰者たちを騙してイエス様から引き離そうとするためです。
 偽物が現われることを止めることはできませんから、本物か偽物かを見分ける目を持つことが必要になります。
 神様が人となってこの地上に来られた方がイエス様であると告白しているかどうかがポイントです。強い影響力、不思議な奇蹟、人を引きつけるメッセージがあるかどうかでは決してありません。むしろ、偽物の方がかえって人々の心をつかむことがありますから注意が必要です。
 私たちは真理を見分け、真理に立って歩みましょう。私たちは「神から出た者」であり勝利者なのです。私たち自身は決して強い者ではありませんが、私たちと共におられる神様が全能の主であるからです。私たちは惑わされてはいけません。見分ける目を持っていきましょう。

☆★☆ 次週 2016年 7月 31日(日)の予定 ☆★☆
  『神は愛である』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 4:7-21/新約聖書
タグ:聖書のお話
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沈黙もあなたからの答え [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
私たちがあなたにお祈りする時に、必ず直面する大きな課題があります。
それは、あなたはなぜ答えてくださらないのか…、なぜ沈黙しておられるのか…、と感じることです。
そのような沈黙を前にして苦悩しつつも、生きておられる神様がなされることに意味のないことなどあるはずがない…と、自分に言い聞かせています。
あなたは黙っているようであっても私たちを顧みて下さるお方です。
沈黙を通して私たちに大切な何かを語りかけ、私たちをお取り扱いくださっているのでしょうか…。
そうであるならば、あなたの沈黙もあなたからの答え。
沈黙の中にあってもあなたを見上げ、その意味を問い、沈黙という答えの中にあなたからのメッセージを受け取ることのできる者となれますよう導いてください。
沈黙の深みにある宝を見い出すことができるように私たちの信仰の目を開いてください。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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子どもたちへ! “ちっちゃな夏まつり” ですよ!! [スペシャル☆ニュース!]

『教会で… ちっちゃな 夏まつり』 に来ませんか?


毎年行っているこのイベント。基本的にゲーム大会です。
[exclamation×2]いろいろなゲームを楽しんで・・・、ポイントをためて・・・、そして、おやつをもらっちゃおう![exclamation×2]

どなたでも参加できます。お金はかかりません。
ぜひ皆様、お出かけ下さい。心よりお待ちしております。
☆7月24日(日) 午後2:00~3:30
夏まつり.jpg

タグ:お知らせ
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2016年 7月 17日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『大胆に神に近づく』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 3:19-24/新約聖書
21—22 愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。

 自分は他の人を愛することにおいて不十分だと感じることがあるでしょうか。誰もがそう思って自分を責めているかもしれません。自分は愛に乏しく冷たい人間だ、と。
 そこから自由になるための道は一つ、神様の愛を知ることです。神様は私たちのする小さな愛の行動を知っておられます。とても大きく広く深い愛で私たちを受け止め、私たちを非難することはないのですから。感情に引きずられて自分を責めながら歩まないようにしましょう。
 ですから私たちは何も恐れることなく神様に大胆に近づくことができるのです。神様に祈り、そして祈りを聞いてもらえる確信の中に生きることができるのです。私たちが神様の深い愛を知る時、神様に喜ばれることを考えて祈るようになるからです。
 そして私たちの内に住まわれる聖霊なる神様がおられます。聖霊は私たちが神様の愛の中に生きていることを証しします。それで私たちは他の人を愛する者となれるのです。愛は神様からの賜物なのです。

☆★☆ 次週 2016年 7月 24日(日)の予定 ☆★☆
  『見分ける目』
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 4:1-6/新約聖書
タグ:聖書のお話
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あなたに向かい祈ります [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
一人静かになると、辛いこと、苦しいことが心の中に浮かび上がってきます。
その苦しみをどう身構えて受けとめても、やはりそれは苦しみに違いありません。
しかし、その苦しみの中であなたに信頼して生きることを学びとれたら…と思うのです。
苦しみもまた大切な学科なのではないか…と。
今ある目に見える苦難が、目に見えないあなたの前に私たちを押し出してくれます。
苦しみにあって祈ることをやめてしまう者となることがありませんように。
その只中にあって、祈り、あなたに向かう者とならせてください。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
祈り.jpg

タグ:祈り
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2016年 7月 10日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『愛するとは・・・』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 3:11-18/新約聖書
18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。

 愛と憎しみについて考えてみましょう。
 憎しみの思いは悪魔から出たものだと言われています(ヨハネ8:44)。実例として人類最初の殺人事件を起こしたカインに注目しなければなりませんが、弟アベルの正しさへの妬みが苦い根となって毒を出したのです。カインは愛がわからなかったのです。
 では愛はどこから来るのでしょうか。それは神様から来るものです。イエス様は自分自身を私たちに与えて下さいました。見返りを求めることのない愛、与えることで完結する愛、それがイエス様の愛です。その愛は感情というよりも行動です。愛とは「愛する」という行動なのです。
 イエス様の愛を通して愛を知った私たちはどのように愛するべきでしょうか。「ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」と言われているとおりです。自分の所有物、自分の時間、自分自身を与えることによって愛する者となってまいりましょう。

☆★☆ 次週 2016年 7月 17日(日)の予定 ☆★☆
  『大胆に神に近づく』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 3:19-24/新約聖書
タグ:聖書のお話
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思いを神様に向けて [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
私たちは気をつけないと、心の思うまま、思いの向くままに生きてしまいがちです。
そしてそのことで苦しみ悩んでしまう結果となります。
しかし、自分の心の思いにまかせないで、思いをひたすらあなたに向けるなら、不安も恐れも思い煩いも消えてなくなることを知っています。
あなたの平安が、私たちの心と思いを守ってくれるからです。
それは私たちの理解をはるかに越えてすばらしい神の平安です。
そのようなあなたに私たちは全てを任せることができるのですから、あなたに感謝の祈りを捧げます。
「あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のようにあなたを慕います。……朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。」(詩143:6、8)
神様、かわききった地のようにあなたを慕い、あなただけに思いを向ける者を顧みてくださいますように。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2016年 7月 3日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『自分を点検する』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 3:4—10/新約聖書
3:7 子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。

 イエス様が自分に何をしてくださったかを思い出すことはとても有益なことです。それによって愛されていることを確認して自分を取り戻すこともできるでしょう。
 「キリストが現れたのは罪を取り除くためであった」と記されています。イエス様は私たちの罪を背負って十字架でさばかれ、それによって私たちの罪は赦されたのです。すでに私たちの罪は赦されています。
 このような恵みの中に生かされている私たちは、罪の生活をあえてし続けることはありません。「神の種がその人の中のうちにとどまっているから」です。神の種とは御言葉です。この神の種により私たちは正しい道を歩み、誤った道を避け、きよくされることを求めるのです。
 従って、自分の外側に現れている生き方は、そのままクリスチャンであるかどうかを表す基準となるでしょう。イエス様の贖いの恵みを知り信じた者として、自分の生き方、義の生活を点検したいと思います。

☆★☆ 次週 2016年 7月 10日(日)の予定 ☆★☆
  『愛するとは・・・』 
  <聖書の言葉> ヨハネの手紙第一 3:11-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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これは神様からの罰なのだろうか… [祈りの言葉]

私たちの父なる神様。
自分の身に不条理が降りかかる時、私たちはそれは神様からの罰なのではないかと受けとめ不安になってしまいます。
そのような中にあっても、まずはあなたの導きを待つことができる者となれますように。
今、ここで、すでに与えられているあなたからの恵みに目を留め、あなたの愛を思い巡らすことができますように。
自分が神のかたちに創造され、あなたの目には高価で尊い存在であるということを忘れることがありませんように。
痛み、悲しみ、つぶやき、怒りなどを、落ち着いて受けとめることができますように。
生きることにもがいたり、苦しみと空しさばかりに心奪われたりするのではなく、力を抜いて、あなたが惜しまず与えてくださる平安の中に憩わせてください。
あなたは私の避けどころ、逃れ場です。
今、あなたの御前に心を注ぎ出すことができますように。
私たちの救い主であるイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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