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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

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希望のない世界に置かれても [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
イエス様は言われました、「わたしはすでに世に勝ったのです」と。
このことばを思い巡らすとき、困難や苦しみの中に立たされても、必ず勝利の日が来ると信じられるような気がします。
もし墓場のように希望がない世界に落ち込んでいても、イエス・キリストのゆえに、その墓が破られることをかたく信じていかなければと思います。
イエス様の復活は、私たちの人生途上において、どのような意味を持つのでしょう…。
それは墓を破られたイエス様が共にいてくださるので、私たちがどんなに希望のない世界におかれても、そこに閉じ込められることはないのだということではないでしょうか。
復活されたイエス様のゆえに、そこから立ち上がっていく者とならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
祈り.jpg

タグ:祈り
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2017年 8月 13日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『平和を選ぶ者へ』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> 創世記 26:12-22/新約聖書
ペテロの手紙第一 3:10-11 
いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

 1945年8月15日敗戦の日から72年目の今年。私たちは繰返し平和を求めていきたいと思います。
 アブラハムの息子イサクは平和を選び、平和を求めた人でした。
 イサクが神様の祝福を受けて豊かであったことが周辺の人々の妬みとなり、人々は彼の井戸を埋め、ここから出て行くようにと告げたのです。妬みは人を争いに巻き込み、人の幸せを脅かす力があるのです。
 この時、イサクの前に二つの道がありました。戦う道と平和の道。彼は平和の道を選んでそこを去り、別な井戸を掘りました。井戸を埋められるという嫌がらせが行く先々で続きましたが、彼はそこを離れ、別な井戸を掘りました。道は決して一つではありません。平和の道が必ずあるのです。
 イサクが平和の道を選び続けた時、不思議なことが起きました。彼を追い出した張本人たちが訪ねて来たのです。平和の契約を結びたいと。神様がイサクとともにいて彼を祝福していることを認めたからでした。悪から遠ざかり、平和を選び、平和を求めて生きる者の祝福がここにあります。
http://twitsound.jp/musics/tsmov6AqX

☆★☆ 次週 2017年 8月 20日(日)の予定 ☆★☆
『パウロの期待』 ※ファミリー礼拝
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:19-21/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 8月 6日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『示された親心』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:14-18/新約聖書
12:14 私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。

 人のために尽くす人が求めているものは何でしょうか。果たしてそれは御礼の品物なのでしょうか。
 パウロはコリント教会の人たちのために力を尽くしました。働きに対する見返りも一切求めず、受け取りませんでした。その財産もかなり投資したようです。彼は決意していました。自分の財産は彼らのために使い切っても構わない、いや自分自身さえも捧げ尽くしても良いと…。子を思う親心、それがパウロによって示されています。
 しかし、その愛情が思うように伝わらない、それがパウロを悩ませています。誠実の仮面をかぶってお金をだまし取っている、使い込んでいると、根拠のない非難が浴びせられていたのです。親心が通じないのです。
 イエス様は言われました。「受けるよりも与える方が幸いである」。パウロの生き方はこれに倣うものであり、罪人のために愛を貫いたイエス様の愛と重なるものでした。愛が届かなくてもあきらめない、真実の愛はどこまでも与え続けるものなのだと、パウロがその生き方で示しています。
http://twitsound.jp/musics/ts1LnNNRe

☆★☆ 次週 2017年 8月 13日(日)の予定 ☆★☆
『平和を選ぶ者へ』
  <聖書の言葉> 創世記 26:12-22/新約聖書
タグ:聖書のお話
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礼拝する者になる [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
ヨハネの福音書9章には、生まれつき目の見えなかった人がイエス様によって救いを与えられたことが記録されています。
彼に与えられた幸いは三つあるように思うのです。
一つは、見えなかった目をあけてもらい、見えるようになったことです。
二つ目は、救い主イエス様に対する信仰の告白に導かれたことです。
そして三つ目、「そして彼はイエスを拝した」とあるように、彼はイエス様を礼拝する者となったのです。
イエス様は私たちを信仰に導き、救いとそれに伴う新しい生活を私たちに与えてくださいます。
この驚くべき神のみわざの故に、あなたに感謝をささげます。
救いに導かれた私たちが、さらに望まれるのは礼拝者となること…。
イエス様、あなたはそのことのために私たちのところに来てくださいました。
どうか、その恵みに応えて「霊とまことによって」あなたに礼拝をささげる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2017年 7月 30日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『愚か者になって』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:11-13/新約聖書
12:12 使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間で行われた、しるしと不思議と力あるわざです。

 私たちはどのようなことで苦労するでしょうか。簡単に数えられるものではないでしょう。パウロ自身の苦労も同様ですが、パウロ自身の働きによって生まれた教会との関係における苦労であるために、大変な疲労を伴うものだったことでしょう。
 パウロは自分が愚か者になって語り続けました。自分を誇ることにしたのです。理由がありました。偽教師がコリント教会を惑わしていたからです。ただ残念なことに、教会はパウロのことを進んで推薦して守り、偽教師に対抗しませんでした。ここに大きな問題があったのです。
 しかし、パウロはあきらめませんでした。愛と忍耐とをもって教会のために労し、神様から遣わされた使徒としての姿を語ったのです。福音によって救われ、神の子どもとなり、新しい人生を始めた多くの人たちが教会にいることはそのしるしです。愚か者になって、いわば捨て身で教会の人々への愛をパウロは示し続けたのです。
http://twitsound.jp/musics/ts90E6a3l

☆★☆ 次週 2017年 8月 6日(日)の予定 ☆★☆
『示された親心』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:14-18/新約聖書
タグ:聖書のお話
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試練を受けながら思う [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
どうか、試練の中であなたの真実を経験させてくださいますように。
みことばに「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません」とあるではありませんか。
私たちの出会った試練をすでに誰かが経験している…。
誰よりもイエス様ご自身がすでに経験しておられる…。
今、私たちは、そのイエス様を見上げます。
真実な神様、あなたは私たちの信仰をご存じですから、私たちがつぶれてしまうような試練を許されることはありません。
もし、私たちにとってあまりにも厳しい試練と思われるような時、私たちがそれに耐えられると信任してのことでしょう…。
試練はあなたからの信任状なのかもしれません。
試練をあなたの御手の中で生かし、あなたの栄光を現す者とならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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フェイスブックを始めました! [スペシャル☆ニュース!]

教会のFacebook(フェイスブック)を始めました。
Facebookだから公開している情報もありますので、ぜひ一度ご覧ください。

https://www.facebook.com/oyamaseisho.ch/
タグ:お知らせ
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2017年 7月 23日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『弱さを誇る』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:1-10/新約聖書
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 人は誰しも、自分位しか体験していないかもしれないことがあれば自慢するかもしれません。
 パウロには特別な体験がありました。14年間も語らなかったことで、まるで天国を見てきたような内容です。自慢にならないように、また人々から過大な評価を受けないように、気を付けてとても慎重に話しています。
 パウロは、自分には特別に肉体にとげが与えられていると語ります。それは高慢にならないためのものだと。どのような病気や障害なのかはわかりませんが、彼にとっては人生における壁であり、福音宣教の妨げになるものだったのだろうと思います。しかし、三度祈ってもいやされない…。
 パウロは大切なことを知りました。霊的なことは肉体の状態よりもはるかに重要なのだと。自分の能力などがあればそれに頼ってしまう私たちが、弱さを経験することによって神に頼ることを学ぶのです。神の力に満たされることが私たちの本当の強さです。肉体のとげも、数多く経験している困難で感じる弱さも、それこそ自分が誇るべきものなのだと語るのです。
http://twitsound.jp/musics/ts6mQH4Ru

☆★☆ 次週 2017年 7月 30日(日)の予定 ☆★☆
『愚か者になって』 ※ハッピーサンデー
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:11-13/新約聖書
タグ:聖書のお話
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子どもたちへ! “ちっちゃな夏まつり” ですよ!! [スペシャル☆ニュース!]

『教会で… ちっちゃな 夏まつり』 に来ませんか?


毎年行っているこのイベント。基本的にゲーム大会です。
[exclamation×2]いろいろなゲームを楽しんで・・・、ポイントをためて・・・、そして、おやつをもらっちゃおう![exclamation×2]

どなたでも参加できます。お金はかかりません。
ぜひ皆様、お出かけ下さい。心よりお待ちしております。
☆7月23日(日) 午後2:00~3:30
夏まつり 2017.jpg

タグ:お知らせ
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2017年 7月 16日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『苦しみと誇り』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 11:22-28/新約聖書
11:29-30 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。

 人が自分のことを真剣に思っているかどうか何によって知れるでしょう。行動がそれを物語るのです。
 自分の利益のために教会で奉仕をする偽教師は教会を迷わせ欺いてきました。教会はそれになかなか気づきません。パウロは彼らの目を覚まさせるために誇るようにして自分のことを明らかにしていきました。
 パウロが自分のことを話す中で言いたかったことは、神のしもべとしての苦しみの経験でしょう。神の福音のために自分を犠牲にし、耐えてきたのです。教会の人たちのためにたくさん心を使い、自分も弱るほどだったのです。これこそ偽教師たちが決してしてこなかったことです。
 神のしもべとして真剣に教会に仕える者なら、真実の愛をもって教会のために奉仕するのなら、苦しみを引き受け、弱さを覚えることもあるのです。偽者にはこの主張はできないし、実際に経験もないでしょう。
 私たちは、人々に対する真実の愛を貫き、神のしもべとして生きるこのパウロの姿を心に刻みたいと思います。
http://twitsound.jp/musics/tsHONKtyT

☆★☆ 次週 2017年 7月 23日(日)の予定 ☆★☆
『弱さを誇る』
  <聖書の言葉> コリント人への手紙第二 12:1-10/新約聖書
タグ:聖書のお話
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