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愛されるために生まれたあなたへ・・・。   私たちは、栃木県小山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。

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祈りが聞かれないのは… [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
私たちに祈りの言葉が足りないのは、おそらくあなたの御心を知らないからではないのか…と思います。
私たちの祈りが聞かれないのは、目先の自分の思いに目を向けているから…でしょうか。
真摯に聖書のみことばのうちに示されている神様の御心を探り求めるより先に、自分の理想を語りすぎているのではないか…。
祈りの言葉を口にする前に、祈りをお聞きくださるあなたの御心を覚えたいと願います。
何よりもまず、聖書のみことばのうちにキリストを見出し、キリストと出会い、キリストにとどまり続けていけるように助けてください。
そして、私たちの心に真実な祈りが生み出され、その祈りの結実を見る者となることができますように…。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
祈り.jpg

タグ:祈り
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2017年 6月 18日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『こんな私でもいいのですか』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ルカの福音書 7:36-39/新約聖書
7:47 だから、わたしは 『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」

 聖書にはストレートな紹介のされた方をしている人が登場します。それは「罪深い女」です。
 この女性はイエス様のいる場所を知ってやってきました。そしてパリサイ人シモンの家に招かれ食卓に着いていたイエス様の足を自分の涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、足に口づけし、香油を塗ったのです。
 人の行動には理由があります。良く思われたくて善を行う人もいるでしょう。他人のために尽くす人の中には、償いの気持ちで行動する人もいるようです。その背後にその人自身の生き方が見えることがあります。
 この罪深い女はなぜこのようなことをしたのでしょう。彼女は自分の罪深さを知っていました。そしてイエス様によってその罪が赦されたのです。自分みたいに罪深い者をも愛し、赦し、受け入れて下さったイエス様の愛に応えたい、それが彼女の行動の背後にはあったのです。
 「こんな私でもいいのですか」と聞くことがあります。自分の弱さや罪深さなどを思っての言葉です。「そんなあなたでもいいのです」。

☆★☆ 次週 2017年 6月 25日(日)の予定 ☆★☆
『失敗の人生ではないのです』 ※特別礼拝<4>
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 9:1-7/新約聖書
タグ:聖書のお話
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厳しい現実の中で [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
私たちは、今この現実の世界に生きており、それを無視することはできません。
しかし、私たちは今この世界に生きているからといって、現実に埋没してしまう必要はないんですよね。
私たちは今を与えてくれている神様、あなたを信じています。
今のこの現実に生きる私たちのために御子イエス様を与え、愛してくださったあなたを信じています。
それゆえ、望み得ない時にもなお望みをもって生きることができるのです…。
あなたを信じるとは、現実からあなたの御言葉の確かさを求めていくことではなく、御言葉に立って現実を受け入れていくこと…。
たとえ現実はどうであれ、全き愛をもってすべてをご支配なさるあなたのゆえに、この現実を受け取っていくこと…。
悲しみ、苦しみ、涙…、それよりも、いつもともにいてくださる神様(インマヌエル)、このことがイエス・キリストにおいて現実になっている…。
この恵みと憐れみの中に私たちの日々があることを感謝します。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
祈り.jpg

タグ:祈り
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2017年 6月 11日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『不安に弱い私たち』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> マルコの福音書 4:35-41/新約聖書
4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

 この時の瞬間最大風速はいったいどれ位だったでしょうか。イエス様と弟子たちが乗った舟は突風に弄ばれ、沈没の危機にありました。イエス様はこの時、何をしたのでしょうか。「黙れ、静まれ」…。大自然がそのひと言で変化したのです。
 私たちは先の見えない出来事に遭えばすぐに不安になります。今まで経験したことがあることであっても不安はやってきます。不安になるための材料ならどこにでもあるでしょう。そして通常、私たちは不安に弱いのです。嵐の中で弟子たちは不安でした。大騒ぎです。イエス様に話しかけている姿も冷静ではありません。私たちと同じ姿がここにあります。
 この出来事を、イエス様の力あるみわざを思い巡らしてみましょう。イエス様は私たちにメッセージを届けているのです。それは私たちのそばにイエス様がいないかのように慌てない事、イエス様は何もかも出来る方であることを思い起こすこと、そして私たち自身も「黙り、静まる」ことです。不安で騒いでばかりの私たちの心に静けさが戻ってくるのです。

☆★☆ 次週 2017年 6月 18日(日)の予定 ☆★☆
『こんな私でもいいのですか』 ※特別礼拝<3>
  <聖書の言葉> ルカの福音書 7:36-39/新約聖書
タグ:聖書のお話
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2017年 6月 4日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『私たちを囲む神のわざ』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> ヨハネの福音書 2:1—11/新約聖書
ヨハネの福音書 2:7-8  イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
マタイの福音書 7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。

 イエス様は私たちの現実にある問題に無関心な方ではありません。結婚披露パーティでワインが足りなくなった時、イエス様はそれに関わられました。私たちの抱える大きなことでも小さなことでも、イエス様は知っておられます。
 イエス様はこの時、水をワインにするという奇跡を行い、そのお祝いの場を支えました。なぜ美味しいワインがまだ残っていたのか、その理由は裏方の人しか知りません。しかし、イエス様は私たちが知っているか知らないかに関わらず、私たちがそのことを特に願っていたかどうかにも左右されず、その時に最善と思われることを行ってくださったのです。
 「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」の御言葉をイエス様は実行されたのでしょう。イエス様は私たちに喜びを、私たちに希望を、一人一人に愛を示して下さいます。今、私たちは知らないかもしれません。イエス様が私たちのために行われる奇跡を。しかし、神のわざは私たちを取り囲んでいるのです。

☆★☆ 次週 2017年 6月 11日(日)の予定 ☆★☆
『不安に弱い私たち』 ※特別礼拝<2>
  <聖書の言葉> マルコの福音書 4:35-41/新約聖書
タグ:聖書のお話
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-特別礼拝のご案内- [スペシャル☆ニュース!]

『愛されるために生まれたあなたへ★特別礼拝 』へご招待!


教会では、6月のすべての日曜日を特別礼拝として行います。
毎週の礼拝を “カフェ・スタイル” で行います。コーヒーなどを用意してお待ちしています。
初めての方もどうぞ気軽にお出かけください。
毎週違った特別企画を予定しています。お楽しみに・・・!
皆様のお出でを心よりお待ちしております。
詳しい予定は以下の通りです。

6月 4日(日)
  ◆スペシャルプログラム ・・・ 大人も喜ぶ絵本朗読~「生まれてくれてありがとう」/ ポルトガル語賛美
  ◆メッセージ:「私たちを囲む神のわざ」(ヨハネの福音書 2:1-11)
6月11日(日)
  ◆スペシャルプログラム ・・・ 大人も楽しい絵本朗読~「はくさい夫人とあおむしちゃん」/ お楽しみ聖書クイズ
  ◆メッセージ:「不安に弱い私たち」(マルコの福音書 4:35-41)
6月18日(日)
  ◆スペシャルプログラム ・・・ 父の日の祝福の祈り / 信仰体験談 / みんなで手話賛美 
  ◆メッセージ:「こんな私でもいいのですか」(ルカの福音書 7:36-39)
6月25日(日)
  ◆スペシャルプログラム ・・・ 特別賛美~田島牧師夫妻 / お楽しみ聖書クイズ
  ◆メッセージ:「失敗の人生ではないのです」(ヨハネの福音書 9:1-7)

注① メッセージは、田島直秀(小山聖書キリスト教会牧師)が行ないます。
注② 参加費はありません。自由献金があります。

6月特伝/ポスター.jpg

タグ:お知らせ
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いばらの真ん中に落ちた種 [祈りの言葉]

私たちの天の父なる神様。
聖書の御言葉を思い巡らしています。
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。
また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。
また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。
また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
いばらの真ん中に落ちた種についてイエス様は、「いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです」と。
ここには、あなたの言葉を聞いた心をふさいでしまう三つの事柄が挙げられています。
富や快楽については信仰者として警戒していても、心づかい、思い煩い…軽視していたかもしれません…。
みことばを覆いふさぐものを取り払い、目も耳も心もまっすぐにあなたに向かう者とならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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タグ:祈り
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2017年 5月 28日(日) [今週の礼拝(恵みの扉)]

『働きにおけるわきまえ』


<礼拝メッセージの概要>
聖書と十字架.jpg


<聖書の言葉> コリント人への手紙第二 10:12-18/新約聖書
10:17 誇る者は、主を誇りなさい。

 世の中にはいろいろな集団がありますが、手柄の取り合い、地位の奪い合い、そうして仲間割れしていくことがあります。やがてその集団そのものが壊れてしまうでしょうか。
 私たちはすぐに誰かと自分を比べるという性質があります。その結果、自分を誇ったり自信を失ったりします。自分を誇る人は他人を低く見る人となり、自信を失う人は他人を妬むようになるかもしれません。このようなことは知恵のないことだと思った方がよいのです。
 私たちに必要なのは自分をわきまえることです。自分の務め、自分に期待されている働きの範囲、そのために与えられている能力や知恵、それらを正しく受け止めていくことです。高慢になってさまざまな役割までも人から奪い取ったり、活躍の場をむさぼるようなことがあってはなりません。
 自分を誇りたいなら神様を誇りさいと勧められています。すべての務めも働きも、そのための能力も知恵も、すべて神様が与えて下さったものです。私たちに誇るものがあるのではなく、素晴らしいのは神様なのです。

☆★☆ 次週 2017年 6月 4日(日)の予定 ☆★☆
『私たちを囲む神のわざ』 ※特別礼拝<1>
  <聖書の言葉> ヨハネの福音書 2:1—11/新約聖書
タグ:聖書のお話
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『さあ、紙芝居を始めるよ~!」(公園の子どもたち:その1) [エッセイ/共に喜び、共に泣いて]

◆ 私が出会った人たち ◆ <連載10>


 土曜日の午後、私は教会から比較的近くにある公園へと出かけて行った。楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえて来る。
 紙芝居をすることが目的だった。御世辞にも絵が上手とは言えない私の手作り。昔ながらの紙芝居とはスタイルは全く違うもの。真っ黒のラシャ紙を貼ったボードに絵を貼り付けるようにしながらお話するというものだった。
 タンバリンを叩くと始まる。子どもたちがこちらに注目する緊張の瞬間。このタンバリンで私にスイッチが入る。
 「さあ、紙芝居を始めるよ~!」
 興味津々の表情を浮かべながら幼児や小学生たちが近づいて来る。ひげをはやした珍しいこのおじさん、何を始めるんだろう…? 子どもたちの興味は尽きない。
 短い簡単な子ども向けの教会の歌をタンバリンでリズムを取りながら歌う。さすが子どもたち。歌はすぐに覚えてくれた。
 お話はいつも聖書から。イエス様の話などを子どもたちは目をキラキラさせて聞いてくれた。聖書の言葉と絵が書いてあるミニカードと飴がお話を聞いてくれた子どもたちへのご褒美。
 実はお話の時間は短い。むしろその後の時間が長い。何をするのか…? 子どもたちとただ遊ぶのである。鬼ごっこ、だるまさんが転んだ、ジャンケンゲーム…。中には自分と家族のことをたくさん話してくれる子どももいた。手をつないできたり、背中におぶさってきたり、じゃれて来る子どももあった。初対面のひげのおじさんに心をゆるす姿に驚きながら、私は子どもたちの名前を覚えて名前で呼んだ。
 「また来週ね!」 子どもたちが一生懸命に手を振ってくれることは喜びだった。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

タグ:エッセイ
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『憲法を眺めて思う』 [コラム Column こらむ!]

 日本国憲法が話題になっています。そこにはとても麗しいことが書かれています。
 【第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。】
 人権は、国や権力者が私たちに与えるという恩恵ではないのです。生まれた時から、誰にでも区別なく保障されているものです。国の都合で制限されることのない「侵すことのできない永久の権利」です。
 【第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対 する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。】
 私たちは個人として尊重されるのです。国のために私たちが存在しているのではなく、私たちのために国があるのです。一人一人がかけがえのない命を持つ個人、あらゆる違いを超えて尊重されるのです。
 何を考え、何を語ることも保障され、何を信仰しあるいは何も信仰しないことも自由であり、学び、生活が保障されているのです。
 こうして、日本国憲法の基本的人権を眺めてみると、聖書の中にある人間理解が重なります。神様は私たち個人をかけがえのない尊い存在として造り、愛して下さいます。その個人のために神様はすべてのものを備えて祝福してくださいます。

〔2017.05/ほっとひと息・第110号〕

タグ:オピニオン
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